虚報と歴史認識問題

ずいぶん前になるが、慰安婦問題の論点については、「慰安婦と野暮な男とアジア女性基金による解決」で書いた。文中にある「安倍総理」は、第一次安倍政権のことだ。基本的な論点はおおむねカバーしており、今でも加筆することはないので、慰安婦問題を再論することはしない。ここでは、出来心で発した虚報が、結果として反日的でファンタジーな歴史認識を形成することに焦点を当てたいと思う。

今夏、朝日新聞が慰安婦問題に関する報道の誤りを認めて謝罪した。戦時中、慰安婦にする目的で若い女性たちを朝鮮半島で強制徴用したという詐話師の話をそのまま検証せずに掲載し、さらにそれらの話を勤労動員である女子挺身隊と混同させることで、「日本は植民地朝鮮で20万人もの女性を慰安婦として強制連行した」というファンタジーにお墨付きを与えた。このことが、韓国側の頑なな態度と反日拡大宣伝を惹起し、国際的な糾弾にもつながった。

一方で、純粋な虚報だけではこのような大きな騒ぎにはならないわけで、この慰安婦問題には裏に火付け役がおり、その動機はカネである。具体的には、元NHKディレクターの池田信夫が指摘するように、ねつ造記事を書いた朝日新聞の記者とその身内らは、韓国の慰安婦支援団体を踏み台とした詐欺を企んでいた。目的は、慰安婦問題を日韓の賠償請求にまで引き上げることで、日本の国庫から1兆円規模の金を引きだそうという壮大なものだった。国連で慰安婦問題をマッチポンプで炎上させた日本人弁護士らも同様である。結果として彼らは小銭しか得られずじまいだったが、周知の通り、日本が被った代償はあまりにも大きかった。

国家賠償1兆円というのは、ずいぶんスケールの大きい話だが、小さな欲望や見込み違いが虚報を生み、戦後半世紀を経た今日まで「歴史認識問題」として扱われるものは他にもある。南京事件だ。

1937年12月に日本軍が国民政府の首都である南京を占領。敗残兵の処刑や一般市民に対する迫害などにより、30万人が虐殺されたとする。日本では、犠牲者数を30万人と主張する研究者は皆無だが、大なり小なり似たようなことはあった、もしくは敗残兵の不法処分(処刑)だけはあった、という点は概ねコンセンサスが得られている。というのも、実際に南京を警備していた部隊の公文書に敗残兵の大量処刑を行った旨の記載が残っているからだ。この分野の権威である歴史学者の秦郁彦は、主として捕虜の不法処分のみで、犠牲者数は上限4万人としており(『南京事件―「虐殺」の構造 (中公新書)』)、最も信頼できそうである。ちなみに筆者の見解は秦説よりも少なく、上限3万人である。これは現存する公文書(当時の戦闘詳報や陣中日誌)に記載されている処分数の積算に、戦後に遺族の手で証拠となる公文書が焼却処分された最も大規模な事案(暴動の発生を契機にした無差別発砲)の推定数を加えた数である。

この南京事件の犠牲者数について、山本七平が興味深い指摘をしている(『私の中の日本軍』)。山本の検討によれば、南京の中国軍守備隊は日本軍の占領前に撤退し、南京城の占領自体は、無血占領(本格的な戦闘があまりなかった)に近かったとする。これは関係者の証言や報道内容からもおそらく正しい。ところが、軍部にとって、それでは話にならない。膨大な犠牲者を出した上海戦から南京攻略までいたった陸軍にとって、南京占領は停戦の契機にしなくてはならず、世論喚起のためには華々しい決戦話でなければならない。結果として「敵の遺棄死体は八~九万を下らず」という“虚報”を発することにつながったわけだが、中国側は守備隊を撤退させているから、数個師団が壊滅するような戦闘は起きるはずがないことはわかっている。すると、解釈の可能性は二つであり、一つは日本軍がホラを吹いていること、もう一つは日本軍が南京占領後に城内で大虐殺を行った――しかも中国軍は撤退しているから、殺戮の対象となるのは一般市民しかいない――ということだ。

昔も今も日本と中国の気質というのは変化がない。もしホラを吹いたのが中国で、ホラを吹かれたのが日本ならば、日本のとる方法はいつも同じである。中国がホラを吹いていると青筋を立てて主張するのである。ところが、中国というのは日本よりもはるかに大人であるから、日本がホラを吹いている!などと主張したりはしない。逆にホラを利用するわけである。南京大虐殺のファンタジーが生まれたのは日本側の虚報であって自業自得…というのが山本の主張であり、筆者も全面賛成である。

ところで、この南京事件に関連して、百人斬り競争という虚報が、当時の毎日新聞(当時は前身である『東京日日新聞』)の紙面を飾った。南京侵攻部隊に所属する二人の下級将校が、進撃途中で軍刀による敵兵百人斬りの競争を行ったとするものだ。二少尉は、気の毒なことに、戦後に国民政府によるBC級戦犯裁判で有罪となり、処刑されている。この百人斬り競争のファンタジーを暴いたのも山本である。山本が南京大虐殺の虚構の構造を明らかにしたのは、もともとは、この百人斬り競争の虚構を立証することを目的としていた。

この百人斬り競争は「近代歩兵戦で戦国時代よろしく刀で完全武装の敵兵を百人も倒すことができるのか?」「たとえ敗残兵の処刑であっても百人もの首を切り落とすことが日本刀の構造上可能なのか?」という問いを自問すれば、おのずとその虚構性が判別できるのであるが、この2つの論点は、そのまま刑事責任を問われるか否かの判断に深く関わる論点でもある。すなわち、百人斬りの虚報作成者である浅見一男特派員が作成した記事は、主語と客語を丁寧に脱落させることで、殺戮行為が「戦闘行為」なのか「戦闘中の行為」なのかを曖昧にしているのである。余談だが、このような記事の書き方は、虚報作成に共通している。文意で読めとは新聞記者のお家芸で、慰安婦問題でも、軍関与を示すスクープに付随させた従軍慰安婦の用語解説で勤労動員の女子挺身隊とあえて混同させる書き方をしており、それが「日本は植民地朝鮮で20万人もの女性を(女子挺身隊という名の)慰安婦として強制連行した」というファンタジーを支えるきっかけとなっている。

話を百人斬り競争に戻せば、「戦闘行為」というのは、正規軍もしくはゲリラなど、戦闘を交えた相手側を戦闘中に死なすことで、それであれば、違法性が阻却されて訴訟対象にはならない。そのうえで、「近代歩兵戦で戦国時代よろしく刀で完全武装の敵兵を百人も倒すことができるのか?」ということに疑問を持てば、単なる虚報という結論になる。東京裁判で審理対象にならなかったのはそのためだ。

一方で、虚報の内容を「戦闘中の行為」と解すれば、これは審理対象になる。すなわち、敵弾が飛び交う戦地であっても、敵対行為をとっている相手ではなく、無抵抗の投降兵や一般市民を死なすという戦争犯罪行為であるかを検証する、という流れである。国民政府の戦犯裁判はこの流れで進んだが、そこで決定打となったのは、虚報であるはずの記事の証拠採用である。記事が証拠採用されるというのは、記事の内容が本当であること、すなわち“二少尉は百人にも上る投降兵・一般市民を(遊技として)殺戮した”ということになる。ここで「たとえ敗残兵の処刑であっても百人もの首を切り落とすことが日本刀の構造上可能なのか?」という問いはあってしかるべきであっただろう(日本刀は柄の部分が貧弱で、構造上、骨肉を轢断する連続使用には耐え得ない)。しかし、それはなかった。残念だが、アンフェアとまでは言えまい。

国民政府の戦犯裁判に浅見は二少尉に対する助命嘆願書を出したが、その内容は“二少尉から話を聞いてそのまま記事にした”“事実か否かはわからない”“二少尉は人格高潔で…”云々だけであり、虚報を作成したことを白状する内容ではなかった。二少尉を助ける唯一の方法が、記事が虚報であったことを浅見自身が認めること以外にないわけだから、浅見こそが二少尉を処刑台に送ったとする山本の指摘は正しい。ただ、元となった虚報作成の動機が、浅見にとっては出世とボーナスの加増であり、処刑された二少尉が虚報作成につきあったのも、戦場心理につけ込まれた油断に生まれた小さな虚栄心だったわけで、そのようなちょっとした誰でも持つ欲望が、タイミングが合うことで、他人の、また、自分の命を奪うという事実に胸が痛む。