書評

山本七平の戦争体験

日本社会に対する深く、鋭い考察で「山本学」とも呼ばれる独自の境地を拓いた山本七平。彼の業績は、没後20年以上を経た今なお多くの読書人を魅了してやまない。その彼が青年期に過酷な南方戦場で、一下級将校として何度も死線をくぐって生き延びてきたことは意外と知られていない。というのも、山本が自らの戦場体験を披露するようになったのは、文壇にデビューし、名も知られるようになってから日月を経てからであり、それは解説に寄せた安岡章太郎の「山本七平という人にこんなすごい野戦体験があったのか、と驚くと同時にその迫力のある描写の筆力に瞠目させられた」との言がそれをよく示している。

日本軍、とりわけ、自らも青年期にその一員に組み込まれ、文字通り“地獄”を体験させられた陸軍について述べた彼の著述はかなりある。書籍としてまとめられたものでは『ある異常体験者の偏見』(初版は1974年)や『私の中の日本軍』(同1975年)がある。いずれも評論の合間に自らの体験を述べる形をとっており、赤裸々に戦場における自らの失態を含めた行動や心理状態を披露しているが、まとまった形で戦争体験を述べているのは『一下級将校の見た帝国陸軍』(同1984年)である。

1942年に在学中の青山学院を繰り上げ卒業して徴兵された山本は、甲種幹部候補生に選抜され、予備士官学校で砲兵の観測将校として教育を受けたのち、フィリピン戦線に見習士官として派遣される。本書は、内地での徴兵検査から初年兵教育、予備士官学校での教育を経て新設師団の要員としてフィリピンに派遣され、最終的にルソン島北端のジャングルで米軍に降伏し、捕虜収容所に収容されるまでのおよそ四年あまりの戦争体験を書き綴ったものである。彼の戦争体験がどれほどの辛苦であったかは、身長170センチを超える偉丈夫の彼が捕虜収容所への収容時に体重がたった四十数キログラムしかなかった事実、復員後も疾病の再発に苦しめられ、やむなく書店主として生きていかざるを得なかった事実が如実に示している(結果として凡庸なサラリーマンで終わらずに後世に残る仕事を残したわけだから正解だった)。

『一下級将校の見た帝国陸軍』は、「回想記」に近いが、山本の特徴である緻密な省察が随所でなされており、戦場の様相・軍隊の日常が読者にリアリティをもって提示される点が他に類書を見ない特徴である。いわゆる「戦記」は昔から巷に溢れているが、山本の筆以上に、戦争や軍隊というものを皮膚感覚で理解させられる読み物は他に出会ったことがない。本書を読むと、あたかも自分が山本と同じ戦場で同じ空気を吸っているかのような気にすらなる。戦場を追体験するといっても過言ではない臨場感である。これはひとえに山本の洞察力と筆力にあることは当然だが、山本が平均的日本人としては少しズレた考え方の持ち主であったこと、いわば、常に少数派(マイノリティ)としての視点から観察し、内省し、それを煩をいとわず文字に起こしたことにもあるのではないかと思う。それは、山本の家庭環境も大きく影響しているし、彼自身の性格――彼自身が表現する「迂闊者」に加えて「正直者」である――も大きく影響している。

最後に、『私の中の日本軍』は、南京百人斬りの虚報を立証することを執筆動機としたもので、日中戦争に関心のある者としては一読する価値のある論考だが、終章の「最後の言葉」で記された末尾の一節は胸に刺さるものがある。