紡績工場で働く女工


bouseki
一橋大のコレクションにある元陸軍経理学校所蔵の写真。キャプションには山西省太原で撮影とある。詳細は不明だが、太原にある紡績工場は一社だけだったから、キャプションが正しければ晋生染織廠(接収後は山西軍管理第一工場)に間違いないだろう。
戦前の紡績工場は「女工哀史」として記憶されているが、昭和期の国内工場では労働者の権利保護が配慮され、待遇は改善していた。日本に比べて中国占領地での操業は、内地の規制が及ばず、労働者の権利保護の水準も高くはなかったが、明治期のような無法が横行する余地はなかった。工場は現在も太原市内で国営の紡績工場として操業している。

初出:http://shanxi.nekoyamada.com/archives/000220.html

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