『正論』”遺棄化学兵器スクープ”の虚と実


※本稿は2006年9月9日に公開した元原稿に加筆修正したものです

月刊誌『正論』が報じてきた遺棄化学兵器”スクープ”は、きわめてお粗末なものだ。引継書に化学兵器の記載はなく、月号を経るにつれ論旨もゆがんできた。真相は複雑かつ微妙だが、正論が主張するような陰謀ではけしてない。

化学兵器が明記されていた台湾軍の兵器引継書
『正論』2006年9月号が報じた台湾軍の兵器引継書には、「あか筒」や「みどり筒」といった化学兵器が連合軍に対して引き継ぎされていることが明記されている(268頁)。この台湾軍の引継書で気を強くしたのであろう、これまで一連の”スクープ”を報じてこなかった産経新聞も、9月3日付の東京朝刊で、担当編集者である喜多由浩氏の署名原稿で一連の流れを報じた。この記事で喜多氏は、台湾軍の引継書を「中国側の主張を覆す可能性」のひとつとして挙げている。

新資料発見か?政府調査 中国遺棄化学兵器問題
中国遺棄化学兵器問題で、「日本軍が中国に化学兵器を遺棄した」という中国側の主張を覆す可能性のある資料が見つかっています。この問題では、廃棄処理のために政府が負担する費用が数千億円規模に膨らみかねないことや、”遺棄兵器”の実態が不透明という指摘も出ています。政府首脳は詳しく調査、分析するとしています。(『正論』編集部 喜多由浩)
この問題は、先の大戦で「旧日本軍が中国各地に化学兵器を遺棄した」として、平成2年に中国政府が日本政府に解決を要請してきたことが発端です。9年には、遺棄化学兵器の廃棄義務をうたった化学兵器禁止条約が発効し、日中両国が批准。11年には、日本側が廃棄処理費用を全額負担することなどを盛りこんだ覚書を交わしました。
これに伴い日本政府が負担する総事業費は今後どれだけ膨らむか、見通しすら明確ではありません。
中国側は、旧日本軍が遺棄した化学兵器が、吉林省のハルバ嶺などに約200万発残っている、と主張しています。しかし、その主張に疑問を持つ意見は当初から少なくありませんでした。終戦後、日本軍は旧満州(現・中国東北部)ではソ連軍(当時)によって、中国大陸部では主に中国国民党軍によって武装解除され、所持していた武器・弾薬は化学兵器も含めてソ連・中国軍に引き渡していた(遺棄したのではない)とされていたからです。
しかし、日本政府は「中国、ソ連の同意の下に引き渡されたことを確実に裏付ける証拠、資料があるとは承知していない」などという消極的な理由で、中国側の主張をいわば”丸飲み”してきたのです。
ところが最近になって中国側の主張を覆す可能性があるさまざまな資料が見つかりました。山形県のシベリア史料館には、中国で日本軍が武装解除の際に引き渡した武器・弾薬を詳細に記した「兵器引継書」が約600冊も残っていました。受け取った中国軍の責任者の署名・捺印(なついん)があり、化学兵器だけを除外した形跡も見られません。
また、防衛庁の防衛研究所には、日中両政府が「遺棄化学兵器」として廃棄処理対象にしている『あか筒』『みどり筒』を台湾で中国軍に引き渡していたことを記した「引渡兵器目録」がありました。さらには、中国側が遺棄化学兵器が大量に残っていたと主張しているハルバ嶺近くの敦化で、化学兵器(毒ガス兵器)をソ連軍に引き渡したという元日本軍兵士の証言まで出てきたのです。
安倍晋三官房長官は5月、衆院内閣委員会での答弁で「(シベリア史料館で見つかった資料などについて)政府としてしっかり調査したい」と述べました。政府は、新しい事実を示す資料などが見つかった場合、事業の「基本的な枠組みが変わってくる」としており、対応が注目されます。

(出典:産経新聞2006年9月3日付東京朝刊)

しかし、問題となっているのは台湾ではなく、中国大陸に散在する遺棄化学兵器である。台湾軍で化学兵器の引き継ぎが証明されても、命令系統が異なる支那派遣軍や関東軍とは関係がない。また、引継相手が同じ国民政府=中国であるから、台湾で化学兵器の引き継ぎがされているならば大陸でも同じではないか、というのは推測の域を出ない。各地で終戦処理の実態は異なるからだ。

そして命令系統が異なっても、陸軍は官僚組織である以上、兵器の名称や書類の作成方法というのは共通している。ゆえに、台湾軍の引継書に「あか筒」といった形で化学兵器が記載されているなら、原則として余所の軍でもそのように記載されたと見なければならない。ところが山形のシベリア史料館で発見された支那派遣軍や関東軍の引継書では、そのような明確な形で化学兵器の記載はない。そこで『正論』は、「代用弾」といったいわゆる”隠語”で記載しているという主張をしてきた。しかし、その論拠は示されていない。そして実際には以下で見るように、『正論』が化学兵器の隠語とするものはすべて通常兵器である。

一つもない化学兵器の記載
以下に掲げた表は、『正論』が2006年6月号から9月号までの間に、化学兵器を意味するのではないかとして列挙した兵器の名称を、史料に基づいて検証した結果である。各項の詳しい解説については、「『正論』六月号”化学兵器引継スクープ”の勇み足」を参照されたい。上掲表中の「Ref:」で始まる資料ナンバーは、国立公文書館のデジタルアーカイブ「アジア歴史資料センター」で公開されている旧軍の公文書の所在情報を示す。インターネットで誰でも自由に無料で閲覧が可能なため、興味のある人はこちらのアジア歴史資料センターにアクセスして閲覧して欲しい。

6月号
「三八式野砲九〇式代用弾(甲)は化学弾」(26頁)「代用弾の表現は化学弾が含まれている」(26頁)「化学弾を含むと思われる各種代用弾も引継いでいる」(29頁)
→“代用弾”は演習弾の意味。(Ref:A03032131400、Ref:C01004236200、Ref:C01001385400)
「四一式山砲榴弾甲、四一式山砲榴弾乙は…化学弾のきい一号甲と乙と思われる。それは通常イペリットである」(27頁)
→“甲・乙”は単に通常弾の信管接合部の違いであって化学兵器とは無関係。(Ref:C01001122600)
「四年式十五榴弾砲榴弾は…やはり化学弾」(26頁)
→著者である水間氏による『秘密兵器概説綴』の誤読。単なる通常弾の意味。(Ref:A03032131400)
「発射発煙筒など化学弾を含む」(29頁)
→発射発煙筒はガスと併用されることが多かったが、あくまでも煙幕を張るための発煙兵器。(Ref:C01006008300)

7月号
「「四一式山砲榴弾カ」…「カ」が化学弾の略」(134頁)
→“カ”は代用弾=演習弾の略字。(Ref:C01005271500)
「「二九倍榴弾甲」は…「―甲」がきい一号甲にも見える」(134頁)
→“甲・乙”は単に通常弾の信管接合部の違いであって化学兵器とは無関係。「克式」とあるのでクルップ社製の輸入砲と思われ、化学弾の制定はなかったと思われる。その上、そもそも持久瓦斯である「きい」の榴弾は存在しない。
「「四一式山砲榴弾甲」「同乙」という項目がありますが…化学弾の可能性が高い」(136頁)
→“甲・乙”は単に通常弾の信管接合部の違いであって化学兵器とは無関係。(Ref:C01001122600)
「(カ)や(テナカ)と書かれたものもありますよね。これが化学弾の略号とする見方もある」(137頁)
→“カ”は代用弾=演習弾の略字であり、“テナカ”は火炎瓶の略字である。(Ref:C01007264000、Ref:C01005271500)
「九七式(青)発煙筒…(化学弾を示す)「青」…ほぼ間違いないでしょう」(137頁)
→青の他に赤と黄の煙を出す「九七式信号発煙筒」のこと。化学兵器とは無関係。(Ref:C01001621000)
「「発射発煙筒」というのは、完全に通常弾ですよ」
→6月号「発射発煙筒など化学弾を含む」(29頁)の記述と矛盾している。

8月号
「「三一山砲カ弾」…(化学弾を「カ」と表記した」(261頁)
→“三一山砲”とは日清・日露時代の旧式砲でガス弾の制定はない。また、“カ”は代用弾=演習弾の略字である。(Ref:C01005271500)
「「九四式山砲カ弾」(化学弾を「カ」と表記した」(261頁)
→同様に“カ”は代用弾=演習弾の略字である。(Ref:C01005271500)
「「異式榴弾」「異式迫撃砲弾」「異式擲弾筒榴弾」など…」(262頁)
→“異式”とは、敵からの戦利品などで制式兵器ではないが、運用上使用を許可された通常兵器のこと。(Ref:C03027226300、Ref:C01001974800)

9月号
「「砲種別弾薬」に毒ガス弾が含まれている…」(252頁)
→意味不明。例えば“十四年式十高弾薬”とは高射砲弾でありガス弾はあり得ない。
「「四一式山砲榴弾カ」「三一山砲カ弾」「九四式山砲カ弾」」(259頁)
→いずれも“カ”は代用弾=演習弾の略字でガス弾ではない。(Ref:C01005271500)

表を見て分かるように、当初主張していた「代用弾=化学弾」という説は、あまりにお粗末だったのか7月号以降登場せず、かわりに「カ弾」を化学弾とする主張を続けている。ところが、旧軍において、化学弾の表記はあくまで「あか」「きい」「あおしろ」などの化学剤の分類で記載するのであって、漠然と化学弾という意味で「カ」を付けることはない。それでは催涙ガスから致死性ガスまで分類されないことになるからだ。事実は上記表中に指摘している通り、「カ」は代用弾の意味である。

※当初、筆者は「カ弾」を化学兵器とは無関係の火焔弾の意味と解していた。その後、史料を精査した結果、昭和17年3月12日に陸軍省が「兵器名称ノ略称、略字規程」に、代用弾を「カ」と略字で表記することを決定し、通達した記録があったことから、「カ」弾は代用弾であり、やはり化学兵器とは無関係であることが証明された。この「カ」の議論の経緯については、「『正論』誤報検証の最終報告」を参照されたい。

以上から、総じて『正論』が化学兵器の隠語とするものは通常兵器であることが分かる。特に「発射発煙筒」などにいたっては、6月号で著者の水間正憲氏が「化学兵器ではないか」(29頁)と指摘しながら、翌月の7月号では元防衛研究所戦史部長の大東信祐氏が「完全に通常弾ですよ」(137頁)としており、論旨が一貫していない。訂正もなく、有料媒体としてお粗末に過ぎるのではないか。

実際、筆者はさる研究者の方の厚意で、『正論』が論拠とする引継書のコピーを誌面上で写真公開していないものを含めて入手している。筆者が入手した引継書のコピーは、著者の水間氏が『正論』で”スクープ”を発表する前後に各メディアに送付したもので、受け取った某通信社が検証を委託するために研究者に渡したものである。結果として水間氏の”スクープ”は、当初、産経新聞社本社を含めて、どこも相手にしなかった。筆者はこの引継書のコピー全てに目を通したが、やはり、化学兵器を示すような記載は見あたらなかった。当時のメディア各社の対応は適切だったと言える。

当初から専門家が疑義を表明
そもそも6月号が書店に並んだ時点で、『正論』編集部には防衛研究所の関係者から誤りを指摘する電話が入っていたという。これは水間氏自身が、5月17日に東京文京区で開かれた講演会で明らかにした事実である。おそらく、その件に関係するのであろう、『正論』編集部のブログには、水間氏が元防研の原剛氏にあてた以下のようなコメントを5月20日付で掲載している。

名前: 水間政憲 | 2006/05/20 20:52:56

原 剛 氏への回答

正論『6月号』に掲載された拙稿の検証ありがとうございます。
四一式山砲榴弾に関しては、大隊(グラビア)の一枚ではなく、他の「四一式山砲」の引継書と比較したり、総合的判断をした結果です。
また、防研OBと現役自衛隊専門家も「化学弾」の可能性はあるとの判断でした。
そして、最終的には、旧軍関係の協力が必要と申してました。
原 剛氏は遺棄科学兵器処理事業の日本側関係者だったとのことですが、歴史検証にバイアスがかからないことを祈っております。

五月20日
ジャーナリスト 水間政憲

(出典:『正論編集部ブログ』http://seiron.air-nifty.com/seiron/2006/05/post_4405.html#c7910023)

原剛氏は、防衛研究所研究官を務め、現在は軍事史学会副会長を務めている本邦軍事史研究の大家である。その氏に対して「歴史検証にバイアスが」とは言いがかりも甚だしい。失礼ではないか。

ともあれ、一連のスクープの仕掛人である水間氏は旧軍について素人であるとして、防衛研究所戦史部長を務めた大東氏のコメントは、氏の経歴からしても重大である。ところが、氏はもともと普通科出身であり、砲弾の種類や化学兵器について詳しくないようである。実際、7月号で煙幕を張るための「九七式(青)発煙筒」の”青”を、窒息性の化学剤「あお」剤の意味と混同するなど、検証もお粗末である。

兵器引継書「副本」のゆくえ
『正論』が論拠とする山形のシベリア史料館で発見された引継書は、社会党市議を長年務め、シベリア抑留者の団体「全抑協」会長だった故斉藤六郎氏が、生前にソ連やロシアの公文書館から入手した大量の旧軍書類の中にあったものである。旧軍と中国軍との間に交わされた公文書がなぜロシアにあったのかは謎で、その点で史料の真贋について疑問を呈する向きもあるようだ。しかし、筆者が引継書のコピーを見て感じたのは、書式や内容として矛盾がない本物という感想であった。

第一軍の兵器引継書の表紙(左)と署名(右)。表紙の右上に「正本」を意味する「正」の判子がある。(出典:山形シベリア史料館)

第一軍の兵器引継書の表紙(左)と署名(右)。表紙の右上に「正本」を意味する「正」の判子がある。(出典:山形シベリア史料館)

第一軍兵器引継書の目録部分。兵団及び軍直、兵器支廠の八区分で引き継ぎされる弾薬の員数が記載されている。(出典:山形シベリア史料館)

第一軍兵器引継書の目録部分。兵団及び軍直、兵器支廠の八区分で引き継ぎされる弾薬の員数が記載されている。(出典:山形シベリア史料館)

その上で、引継書の多くには、表紙に「正本」もしくは「正(複)」(正本の複写という意味)と記載がある。そもそも引継書というのは、正副二冊作成し、正本は連合軍に、副本は復員部隊が持って帰国する。山形にある引継書が、連合軍に渡された正本であることは間違いあるまい。すると、副本はどこに行ったのかが問題となる。

この点、7月号で大東氏も述べているが、不思議なことに防衛庁には陸軍の兵器引継書がほとんどない。大東氏は乗船の際に中国側に持ち帰りを許可されなかったとしているが(139頁)、どうだろうか。他の復員書類は持ち帰られており、引継書だけが持ち帰りを許可されなかったとは考えられない。

ちなみに、防衛研究所で公開されている史料のなかには、引継書の内容を確認できるものがある。引継書をそのまま写した電報などで、復員業務関係の簿冊に綴じられているものである。筆者が確認したものは、山西省の第一軍に関する「来簡文書綴」という史料にあったもので、引継部隊は終戦処理で第一軍に移管された元駐蒙軍の第四独立警備隊などである。いずれも「三十七粍速射砲」といった兵器のほか、錠剤の種類にいたるまで品目と員数を一覧表にしているものだが、やはり、化学兵器の記載はなかった。

政府による全数調査でも化学兵器引渡は「確認できなかった」
最初に『正論』が”スクープ”を報じたときに、国会議員で真っ先に飛びついたのは自民党の戸井田とおる議員だった。戸井田議員は『正論』記事をもとに、化学兵器の引き継ぎについて内閣委員会の場で質問、当時の安倍晋三官房長官が精査を約束したことから、政府は山形シベリア史料館にある引継書の全てに対し、化学兵器の記載がないか、調査を行うこととなった。

この調査は、国の委託を受けた財団法人ディフェンスリサーチセンターが行い、2007年1月に『兵器引き渡し目録等の分析・調査』という報告書にまとめられている。筆者はこの報告書を情報公開法に基づき開示閲覧した。報告書には、シベリア史料館の所蔵史料に対する調査結果が一覧としてまとめられており、その数は項目数だけで285点にも及ぶが、その全てで「化学兵器引渡…は確認できなかった」とされている。水間氏はこの報告書を信頼できぬとしているが、何の根拠があるわけでもない。政府の徹底した調査でも、引継書に化学兵器の記載はなかったのである。

戸井田議員が内閣委員会の場でこの問題をを取り上げた際、当時、世間を騒がせた永田メール事件を念頭に「いま流行のガセネタかなあ」と”予見”したかのような発言をしていたのはまことに皮肉なことである。

状況証拠は中国大陸における化学兵器の遺棄を示す
ここまで見てきたように、山形にある支那派遣軍と関東軍の引継書には化学兵器の記載がない。これは、化学兵器だけを除外して引き継ぎを行った、化学兵器は何らかの形で遺棄がなされたという政府の見解を傍証している。

この点、中国大陸における支那派遣軍の武装解除は、引継書からも伺えるように整然と行われた。そして兵器というのは国有資産であるから、これを勝手に遺棄することは公務員(軍人)として懲戒処分の対象となり許されるものではない。例えば、終戦直後の9月16日付で山西省臨汾の第百十四師団から第一軍にあてた電報では、次のように遺棄を戒めている。

―将師参甲電第五一〇号―
使用不能ナル発煙筒六本及雑鉄線若干等ヲ古井戸ニ投入セルモノノ如シ 本件重ネテ各隊ニ投棄スルコトナキ様厳戒セリ

(出典:防衛研究所所蔵史料「第一軍受信電報綴」)

ゆえに、化学兵器が遺棄されたとすれば、それは正規の命令に拠っていなければならない。ところが、化学兵器だけを遺棄せよという大陸命(大本営陸軍部による命令)は確認できない。

政府によると、化学兵器の遺棄は、公文書の焼却に伴って行われた可能性が高いとしている。すなわち、終戦当日に陸軍大臣が「機密書類等の焼却」を通牒、これに基づいて、公文書の焼却が行われたが、文書以外にも物品の焼却が行われ、その中に、化学兵器も含まれるというのである。この機密書類の焼却命令自体も現存しておらず、1948年(昭和23年)の衆議院における吉積元陸軍省軍務局長の証言に拠っている。

この説の適否はともかく、状況証拠は非引継・遺棄を示している。第一に、もし化学兵器が中国側に引き継ぎされていたならば、蒋介石はすでに戦前の内戦で中国共産党に対して化学兵器を使用していた実績からしても、その後の国共内戦で日本軍から入手した化学兵器を必ず使ったと考えられる。ところが化学兵器は国共内戦で使われていない。筆者が確認できた唯一の使用例は、山西残留日本軍が「最後までとっておいた」化学兵器を人民解放軍に対して使用したという回想だけである。

第二に、筆者は山西省をテーマにしているので、山西省のケースのみしか提示できないが、国民党軍に化学兵器を引き渡しせずに、焼却廃棄処分したという回想がある。山西省北部で終戦を迎えた独立混成第三旅団将兵が戦友会誌に寄せている文章である。

(敗戦の報を聞き)之よりは、復員の為の撤退武装解除の為の兵器の処理であった。…しかし、山西軍は八路軍を恐れ、日本軍に引続き警備を依頼していた為に、各人携行兵器を所持して居り、真の武装解除は後日の事であった。
先ず、兵器は私が担当し、九月六日から八日に亘り、東治鎮、蒋村へと輸送す。東治鎮採鉱内で焼却兵器の処分、発煙筒関係、信号弾の処理や蒋村での、化学戦資材残存特殊弾薬の焼却射耗は、何れの地の夜空を明るくこだました事、今尚記憶に新しい。

(出典:造部隊記念事業実行委員会編「遙かなる山西 第二編」171頁)

第一軍の引継書に記載された引継日時は9月18日(実際の引き継ぎは翌年まで先延ばしされた)。引継書の記載日以前で化学兵器の焼却処分を行ったというこの回想は重大である。政府の主張するように、陸軍省による機密書類の焼却命令がそれに該当するのかは分からないが、少なくとも化学兵器を現在地で処分し、中国側に引き渡しするなと現地の各部隊が明確に認識できる命令はあったのではないか。唯一疑問に思うのは、中国側が接収時に”あったはずの化学兵器がないこと”に異議を唱えたという話を聞かないことである。

中国大陸は日本、満州はロシア・中国に処理の責任がある
その上で、中国大陸の支那派遣軍に対し、満州にあった関東軍は状況が異なるという点を指摘したい。

終戦直前にソ連軍に防衛線を突破された関東軍では、武装解除以前に、前線にある部隊は攻撃を受け、陣地が占領されている。ソ満国境沿いの要塞には化学兵器が大量に貯蔵されていた。ようするに、平穏で時間的余裕のあった中国大陸に対し、満州ではもし命令があったとしても、化学兵器を隠匿または遺棄する余裕はなかったのではないか。

ゆえに、関東軍の引継書に化学兵器の記載がない=復員業務における正式な引き継ぎが証明されなくても、ソ連軍は戦利品として化学兵器を接収していたケースがあったと予想される。実際、『正論』6月号で紹介されているように、関東軍第二幹部教育隊所属だった方が、ソ連軍の監督の下に化学兵器(青酸ガス手投弾)を遺棄したという証言がある。

以上から、原則として関東軍が保有していた化学兵器は、ソ連軍に接収・引継がなされたと見るべきだ。そうすると、満州にある遺棄化学兵器処理の責任は、原則論としてソ連の後身であるロシアに責任があることなる。

この点、気になるのは、ソ連が日本軍の化学兵器を接収したとして、なぜ中国共産党に渡さなかったのかということだ。当時、スターリンは蒋介石を勝たせようとしていたからではないか。

ともあれ、以上から、遺棄化学兵器の処理責任については、原則として次のように考えるべきである。

(1)中国大陸に散在する遺棄化学兵器処理の責任は日本
(2)満州にある遺棄化学兵器処理の責任はロシアと中国

そして、明確に日本の責任で処理せねばならない(1)の遺棄化学兵器は少なく、原則としてロシアと中国が処理すべき(2)の遺棄化学兵器は多い。政府によれば、(1)は三万余発、(2)七十万余発である。

ところが、処理施設のプラントは、(2)の場所である満州のハルパに建設されている。(1)の遺棄化学兵器を中国側がハルパに集積しているからだ。そして、現地では(1)は(2)と混在してしまい、すでに分類は不可能となっているのである。

ハルパ嶺での化学兵器処理作業の様子

ハルパ嶺での化学兵器処理作業の様子(出典:内閣府資料)

中国側は(1)と(2)双方の遺棄化学兵器をハルパに集積するために、発掘・移送・埋没という一連の作業を政府事業として行っている。この関与の度合いによって、応分の負担を求める論理はあり得る。しかし、住民被害を防止するために行ったというような「善意の第三者」による「緊急避難的対応」だと主張されればどうであろうか。悪意を証明することは困難である。もし中国が、(1)と(2)の責任論を理解した上で、あえてハルパに集積していたのなら、相当の手腕である。

そもそも、満州における処理責任がロシアや中国にあるといっても、それはあくまで原則論としてであって、現実に国際司法の場で法的対抗力を持つには、やはり関東軍とソ連軍との間で正式に化学兵器が引き継ぎされた旨を記した文書史料を提示するしかない。ところが、山形のシベリア史料館にあるのは、すでに冒頭で見たように、いずれも”化学兵器の記載がない引継書”であり、ロシアとしては「引継書はすべて日本側(斉藤氏)に引き渡した」と主張することが可能なのである。いわんや化学兵器の引き継ぎを示唆するソ連軍の公文書があったとしても、それを易々と開示することなどありえない。もしこの推測が正しいとすれば、日本外交は中国とロシアに完敗だったと言うほかはあるまい。

以上のような事情から、日本側としては、大戦中の化学兵器使用についてあまり世界に公にしたくない(→「日華事変における化学戦」を参照)など、全部をひっくるめて事情が複雑であり、細かいことを言わずに”すべて”処理する、という結論に落ち着いたのも無理はないものと思われる。

本当に処理の必要がない物も対象になっているのか?
さて、旧満州(現在の東北部)を含む中国大陸全土に散らばっている遺棄化学兵器の”すべて”を日本が責任をもって処理することに落ち着いたわけだが、『正論』の一連の記事では、本来、化学兵器禁止条約で処理対象とされない物についても、中国に譲歩したために責任を認めたとしている。この指摘は正しいのだろうか。

まず、化学兵器禁止条約では、規定外の化学剤について、それを化学兵器に含めるか否かは締約国同士の取りきめに委ねている。日中両国の協議によって化学兵器に含まれた旧軍の化学剤としては、催涙性の「みどり剤」や嘔吐くしゃみ性の「あか剤」、発煙性の「しろ剤」がある。

当然、遺棄化学兵器の中で、「あか剤」と「しろ剤」は過半を占めており、この点で外務省の失態として批判することは不当なことではない。筆者としては、後述するように8月号に掲載された倉田英世氏の主張と同じく、毒性や危険性などからも道義的に処理すべきであり、妥当な落としどころと見るが、そうでないと批判することは自由である。ところが、『正論』の論旨には、以下にみるように悪意ある印象操作が行われている。

通常弾や外国製砲弾は処理対象とはされていない
『正論』は、内閣府の遺棄化学兵器処理担当室が公開した文書に、旧軍で砲弾に使われたピクリン酸(黄色薬)に関する記述と、「炸薬筒」「伝火薬筒」を処理対象にしていることを取り上げて、通常弾まで対象に含めることになると主張している(7月号,131-132頁)。論難というより悪質なデマである。

確かにピクリン酸というのは、金属と自然反応して爆発の危険を生じさせるほか、国民党軍が催涙性の塩化ピクリンガスを日本軍に使用したように、化学剤の原料としての性格を持つ。しかし、だからといって通常弾も処理対象とされることはない。事実は、著者である水間氏の質問に答えた内閣府の御子柴参事官の発言(7月号,132頁)にあるように、処理の対象はあくまでガス弾とその部材(装薬筒類)に限っているのである。

この点に関連して、中国製やソ連製の外国製砲弾の処理についても『正論』は難癖をつけている。7月号で宮崎正弘氏は、黒竜江省寧安で行われた回収作業で、二千発に及ぶ各種不発弾類の中に日本製の物が八十九発しかなく、残りが外国製だったこと、そしてこれら「他国の物騒な武器をどさくさ紛れに日本の費用で処理して差し上げることになる」としている(143頁)。

旧軍の砲弾に混じって中国製やソ連製の砲弾が混じっていることは、ありそうな話である。朝鮮戦争や中ソ紛争の際のゴミを一緒に投棄したのであろう。住民被害等を顧みない中国がやりそうなことである。しかし、遺棄化学兵器処理担当室が明示しているように、これら明らかに日本製の化学兵器と見られない物については、発掘時の識別作業と、その後の鑑定作業という二段階で、中国側に引き渡しされる手はずになっている。

遺棄化学兵器処理作業の流れ(出典:内閣府遺棄化学兵器処理担当室ホームページ)

遺棄化学兵器処理作業の流れ(出典:内閣府遺棄化学兵器処理担当室ホームページ)

そして実際の運用もそのように行われているとみてよい。例えば、2006年7月に中国黒龍江省寧安市で約一週間にわたって行われた処理では、発掘された砲弾等695発のうち旧軍の化学砲弾等は210発で、残る485発の通常弾や外国製砲弾は中国側に引き渡している(→該当PDF文書)。『正論』の論旨の組み立ては相当の悪意を感じざるを得ない。

政府の公文書を曲解して報じる『正論』
政府が公開している公文書を『正論』が曲解して報じている例は他にもある。7月号では、遺棄化学兵器処理担当室が平成14年に作成した「中国における旧日本軍遺棄化学兵器処理事業の概要」という文書に、旧軍が保有していなかったサリン、ソマン、タブン、VXといったガスが記載されていることを批判している。

問題の記述は、括弧書きで「旧日本軍の化学兵器に関連するもの」とした上で、表中に旧軍が開発していない神経剤や無能力剤をも含めている。確かに誤解を生む表現ではある。しかしこの記述は、あくまで化学兵器禁止条約について補足的に解説した最後の第五章にある。処理対象とする化学兵器については、第二章で「旧日本軍が開発・保有した化学剤」として列挙されているものを指すことは明らかだ。実際に文書を読めば言い掛かりに近いことが分かる。この『正論』の言い掛かりが効いたのか、本稿を公開した時点で、遺棄化学兵器処理担当室のホームページからは該当文書が削除されていた。気持ちは分からないではないが、さらに言質を与えるのではないか。

催涙剤や発煙剤を処理対象に含めているのは不当か
前述のように、本来、条約の規定上は処理義務がない化学剤についても、化学兵器として責任を負うべきか否かという点は日中両国の協議による。そして我が国は、催涙剤や発煙剤も他の強毒性ガスと共に責任を負うとした。これは『正論』が”亡国”と揶揄するほど不当なものなのであろうか。数が最も多く、『正論』が最も力を入れて糾弾する発煙剤「しろ剤」について見てみる。

6月号から10月号まで続いた一連の”スクープ”の中で、筆者が唯一まともと感じたのが、8月号に掲載された倉田英世氏の論だ。氏は、陸自化学学校教育部長などを歴任した専門家で、平成16年に外務省から委託された「中国遺棄化学兵器の所在に関する聞き取り調査」の報告書をまとめた人物でもある。

倉田氏は、中国の要求に従ってしか行動できない政府の対応を厳しく批判しながらも、日中両国の協議によって処理対象とした、「あか剤」「みどり剤」「しろ剤」については、「武装解除で引き渡したものと隠れて遺したものを明確に区分し、後者のみを処理するのであれば、半世紀を過ぎて劣化し毒性上からも危険性を有することから…処理の対象とすることが望ましいと考える」としている(269頁)。全くの同感である。

その上で氏は、「きい剤」のルイサイトには最終的に無毒化処理が出来ない砒素が含まれるとし、これをどう処理するかが問題だとしている(269頁)。ところがあえて触れなかったのか編集サイドで意図的に削除したのか分からないが、このルイサイトの原材料は発煙剤の「しろ剤」、すなわち砒素そのものである。「しろ剤」の持つ毒性を考慮すると、旧軍が遺棄したのであれば道義的にも処理すべきではないかとなろう。

この点、『正論』7月号では、旧軍将校の方の「発煙筒は自分たちを守る煙幕だよ。『有毒』だったら自分たちがやられちゃうよ」というコメントを紹介している(127頁)。心情として良く理解できる。いくら砒素が残るといっても、大量の発煙筒を化学兵器として処理することは割り切れない。『正論』の主張を一方的に聞いているとそのような感を抱く。ところが、次に見るように、実際には発煙筒は単純に処理の対象とはなっていないのである。

「有毒発煙筒」は単なる発煙筒ではなく、化学剤が充填されている演習用兵器
『正論』7月号において、水間氏は「有毒発煙筒」について遺棄化学兵器処理担当室に質問、御子柴参事官が回答している。それによると、「有毒発煙筒」とは「「あか」とか「あお」とか「みどり」剤などが入っているもので、手投げ赤筒などです」とのことである(127頁)。すると、『正論』が指摘するような「しろ剤」単体のみを充填した単なる発煙筒は処理の対象となっていないことになる。

この点、化学兵器に多少詳しい人だと、参事官の回答に疑問を持つことになる。なぜなら、「あか剤」や「みどり剤」で発煙剤と共に充填された兵器というのは知られていないからである。しかし、史料を調べると納得がいった。「あか剤」や「みどり剤」が混ぜられた発煙筒というのは確かにあった。演習などで使用する代用ガス筒のことを指すのだ。

例えば、「手投弾薬九三式代用あか筒」という兵器は、「しろ剤」とともに催涙性の「みどり剤」を含んでいる(「手投弾薬九三式代用あか筒及弾薬九三式きい剤仮制式制定ノ件」アジア歴史資料センター,Ref:C01003978600)。すでに述べたように、日中両国の協議によって毒性がそれほど強くない催涙性の「みどり剤」が処理対象とされている以上、これらを「有毒発煙筒」として処理対象にすることはなんら不当ではないのである。

この点で政府の見解は誤解を招く恐れがある。そもそも「あお剤」とは窒息性のホスゲンであり、兵器としては必ず「しろ剤」とともに「あおしろ剤」として使用される。ゆえに化学弾として「あおしろ」の名を冠した砲弾が存在し、条約上も明確に化学兵器とされる。それと少量の「あか剤」や「みどり剤」が充填された演習用の兵器を混同して「有毒発煙筒」と称し、その上で「しろ剤」も処理の対象であると説明されると、理屈としては正しくとも無用な誤解を招いてしまうことになるのだ。『正論』が発煙筒を処理対象に含めていると”勘違い”したのも無理はない。筆者も当初そのように理解してしまった。面倒であっても旧軍の制式名称による表記をすることが肝要である。

実際の処理の過程で、判別不能などの物を除き、単なる発煙筒が処理の対象にされていないかどうか、国民としてチェックすることは必要である。しかし、いたずらに陰謀視することも徒労である。少なくとも政府の対応は一貫しており、(相変わらず)説明が不十分ではあるが、何ら非難されるべきところはない。

今後の議論のポイントは発煙筒の処理ぐらい
ここまで見てきたように、山形のシベリア史料館に保管されていた兵器引継書を材料にして『正論』が報じてきた”スクープ”は、きわめてお粗末なものであった。引継書に化学兵器の記載はなく、「有毒発煙筒」も単なる発煙筒ではない化学剤を含む兵器であった。遺棄化学兵器処理問題の真相は、すでに見たように複雑かつ微妙だが、けして陰謀などではない。陰謀は庶民受けするし、それで部数を伸ばす面はあるが、議論はフェアでなくてはならない。

遺棄化学兵器処理問題をめぐる議論が今後も続くとすれば、引継書に明記されている発煙筒の処理ぐらいしかないのではないか。疑惑の的となっている「有毒発煙筒」のみが処理の対象とされ、純粋な発煙筒が発掘されたときにしっかりと中国側に引き渡されているか否かをチェックするぐらいである。そして恐らくそれは杞憂に終わるのではないか。拳を振り上げて、置き所をなくした『正論』としては、あまりにも寂しい幕引きとなろう。

初出:http://shanxi.nekoyamada.com/archives/000255.html

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One thought on “『正論』”遺棄化学兵器スクープ”の虚と実

  1. Nao

    こんにちは。御検証記事、ありがとうございます。

    大日本帝国時代の先輩に伺ったお話では、色が付くものとしては、やはり、「発煙筒」の事としてお話になっていらっしゃいました。
    記憶が少しあいまいですけれど、色によって「赤弾・黄弾…」等と呼んでいたと伺った気がします。

    別の方から昭和40年代後半頃に伺った御話では、
    「化学弾・細菌爆弾は、戦後、日本軍が退いた後の中華内戦で使われたんだ」との事です。
    私は、その方の御話は虚偽ではないと思われます。

    「有毒発煙筒」という名は初めて聞きますけれど、極論で言えば、「爆弾類は全部、化学薬品(火薬)を使っている」とも言えます。
    現に、日本は全土に渡って爆撃を受け、大中小都市は殆ど、田舎の村までもが被災しましたが、「畑で芋の焼けたいい匂いがするんだが、どんなに御腹が空いていても、『爆弾芋:爆撃で焼けた芋』だけは食べられなかった」とは、所処の農村でも知られた事でした。火薬自体が有害で、その煙や臭いで、食べようとして口に近づけただけで、人体が有毒物質と判断して、激しい吐き気などの拒絶反応を起こしてしまうからです。
    小さな花火の煙でさえ、直接大量に吸わない様にしないと、時に呼吸困難状態を引き起こします。

    大陸中華では、中華軍同士の内乱も、国共合作時でも水面下でずっと継続し続けていましたし、各地で伝染病が流行ったりは、大日本帝国軍が行かなくても、通常時からありました。

    防疫研究所は、第一次大戦後、石井四郎が洋行して欧州での化学薬品戦・細菌戦対策を視察して来て、早速、当時の大蔵大臣だった高橋是清の所に「最近の入ったフラスコ」を持参して「設置を許可しなかったら、これをばら撒くぞ?」と脅し、見事に設置費用をせしめて設立しました。目的は「細菌戦・化学薬品戦に備える事」。一番の目的である「細菌や化学薬品を使われたとしたら、どの様に備えてどの様に対応対処するか」と共に、「実戦として有効かどうか」も検証はしていました。
    そして、設置初期段階での戦術検証の結果、「細菌戦・化学薬品戦は、実戦には向かない」との結論を出しています。いざ現実に使うとして、風向き・感染者の動き・感染経路などを、戦闘状態が継続している状況では特に、管理しきれないからです。

    それが、「物資不足で戦争に至った(マッカーサー)」との見解も有る中、現に、医療現場でも戦地・戦地外共に薬品不足で薬を薄めて使ったり、薬が無い状態で、様々な工夫が為されていました。戦地では、麻酔薬が無いので縛って固定して手術したり殴って気絶させて手術したり、医薬品が少ないと知っていて「そのままやってくれ」と言ってじっと耐えていた方もいらしたとか。
    また、爆薬も少なく、米軍上陸の危機に対し、小さな爆弾では相手にダメージが与え難いし、人が乗っていれば直前までコントロールして敵を攻撃出来る可能性が有るからとして「特攻隊」が設置されましたが、通常戦闘では反対しそうな人も、同意せざるを得ないほど、資源不足でした。
    「一般家庭で使う瓦斯」も不足し、政府でも、家庭用ガスの補給に対処しなくてはとの事で、ブタンガスなどが開発されていました。
    台湾では、製糖工場でガソリン代替燃料としてバイオエタノールが開発製造されていましたが、一部の不逞な輩は飲料用アルコールを製造してちゃっかり飲んで居たとかのエピソードも有ります。

    大陸中華が自衛隊員に処理させた「化学爆弾・細菌爆弾」とされている物は、殆ど総てが、御紹介の「ソ連製・中華製」の物だと思われます。

    中華は、自国民からの仕返しや批難や糾弾が怖くて、大日本帝国人のせいにしてきましたが、事実は「中華内乱での使用」です。

    中華人は13億人以上も居るのですから、是が非でも、「中華国民全員に『化学爆弾・細菌爆弾は中華内戦での使用だ』との事実を知らせる」位の、大人な所を見せてほしいものです。
    中華故事には、尊敬出来る人ととして、「大人物が、自らの非を、身分の低い者に向って認めた」類の話は無いのでしょうかね?

    Reply

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