慰安婦と野暮な男とアジア女性基金による解決


先般、安倍総理は、慰安婦問題について、「軍の関与はあったが強制はなかった」という趣旨の談話をした。これを二枚舌だ何だと批判する向きがあるが的はずれである。そもそも、「軍の関与はあった」と「強制はなかった」は不可分だからだ。「軍の関与はあった(ゆえに)強制は(あり得)なかった」が建前であり、史実もおおむねその通りだった。その点で安倍談話に何ら落ち度はない。

将兵にセックスサービスを提供する慰安所は民間業者の経営だったが、その開設については軍に許認可権があった。一般に日華事変において慰安所は南京戦以降に開設されたと言われているが、華北では早くも事変勃発直後の八月末にチャハル戦線で業者から開設申請があり、これを兵団司令部で審査した旨のメモが史料に残っている。このときは、「娘子軍十七名来張せり。勇敢なり」、しかし「軍医部、憲兵は不開主義」であったという。

開設が許可されれば、将兵にとっては待ちわびたこと、部隊長が工兵に営業小屋の建設を命じることもあったようだ。実際に営業が開始されれば、”適正な運営”を維持するために、軍として様々な便宜を図ることは当然で、軍医による予防医療から物資の融通、輸送手段の提供などに勤めている。政府の調査では「直営」のケースもあったという。この点で、軍の関与があったことは明白である。

上海に開設された慰安所(毎日新聞社,1938年)

上海に開設された慰安所(毎日新聞社,1938年)

ここで注意すべきは、そもそもこのような営外のサービスは慰安所だけではないということだ。将校団が料亭一軒を借り上げて帯同するような下世話な話から、郷土連隊の出征とともに雑貨屋の親父が付いてきて酒保を開設し、内地にいたときと同じように若い将兵に駄菓子を売るなどの微笑ましい話まで幅広くあった。そもそも一個連隊で二千人弱の将兵がおり、それが顧客になるわけだから、様々な業者がぞろぞろと付いて来て不思議はないわけだ。出征兵士の回想録には、大抵、衛外で邦人が経営する食堂の娘に横恋慕した想いが綴られている。

慰安所の話に戻れば、軍は開設許可を出しているだけでなく、実際の営業へも深く関与しているのだから、その度合いによって管理責任が問われることは言うまでもない。そこで、セックスサービスを承諾していない女性に奉仕を強いたか否かが問題となる。この論点については、いわゆる「狭義の強制」と「広義の強制」という概念が使われている。前者は、軍や官憲などが公権力を直接行使して奉仕を強要したケースをいい、後者は、公権力の直接的な強要はないものの、自己の意志に反して承諾を余儀なくされたケースをいう。

官憲による拉致について、実行者の立場から述べた唯一の吉田清治証言は虚言であると証明されている。また、軍や官憲が徴用を命じるなど、強要を示す史料は見つかっていない。このため、国は「狭義の強制」については確認できないというスタンスである。安倍談話も同様であり、河野談話も(若干ニュアンスは違うが)同様と言える。そもそも公権力による売春の強要などは、当時であっても法令上も社会通念上も許されるものではなかった。

この点、東京裁判で証拠採用されたり、BC級戦犯裁判で強制を認めたケースがあるという主張があるが、それらは本論にいう慰安所とは別の不法な「私設慰安所」、すなわち、戦地犯罪(婦女暴行・誘拐監禁)と解すべきだろう。オランダ人女性が被害を受けた有名なスマラン事件でも、軍は二ヶ月で閉鎖を命じているように、売春の強要は許されるものではなかった。もちろん、スマラン事件のように軍人という公務員が犯罪に関与している以上、日本国としての責任は免れ得ない。それに、大多数の正規の慰安所の存在が不法な「私設慰安所」の開設、すなわち犯罪を助長したのではないかという議論や、同じ臣民である朝鮮人と敵性国人に対する扱いの違いという点での議論はなされてよい。東京裁判で証拠採用された事件は、全て外地における敵性国人に対して行われている。しかし、正確な史実を求める観点からは、慰安婦の呼称は安易に用いるべきでなく、あくまで正規の慰安所で雇用されていた酌婦、娼婦に限定すべきである。正規の慰安所と戦地犯罪の両者を混同するから、”数十万人もの慰安婦が強制連行された”云々とおかしな議論となるのである。そもそも慰安婦(酌婦、娼婦)が社会通念上は下賎な仕事と見られている以上、性犯罪の被害者を慰安婦と呼称するのは失礼ではないか。両者の混同は、慰安婦問題を政治的に利用しようとする輩が、虚像を増幅する印象操作に利用しているフシがある。

河南省の「慰安所」とその前を人力車で通る軍人。セックスサービスを提供する店は、一般にカフェーやら料亭やら一見して分かる名称だった。(毎日新聞社,1938年)

河南省の「慰安所」とその前を人力車で通る軍人。セックスサービスを提供する店は、一般にカフェーやら料亭やら一見して分かる名称だった。(毎日新聞社,1938年)

「広義の強制」については、物理的な強要はなかったものの、自己の置かれた状況からその意志に反して承諾を余儀なくされたケースである。不良業者に騙されて連れて来られたり、親に売り飛ばされて、現地についたら奉仕を要求され、辺鄙な場所で帰るに帰れず、逃げるに逃げられず、どうにもならずに承諾せざるを得なかったというようなケースである。慰安所を必要とする軍が不良業者と結託して云々というのはあり得ると思われがちだが、しかし、軍が関与している以上、やはり野放しということはない。軍にとって慰安所とは、将兵が頻繁に利用する施設として軍紀上も揺るがせにはできない存在であるから、仮に女性を強引に慰安婦にするような非道があれば、それは軍法により処断し、不良業者を排除しなくてはならない。民営だから勝手処置ナシなどということはない。例えば、山西省路安に駐留していた湯浅軍医は、騙されて連れて来られたと朝鮮人女性たちが集団で憲兵隊に訴えたというエピソードを紹介している。この時は、話し合いで年端のいかない者に一年の猶予を与えるなどの条件で解決したという。このケースは、慰安婦問題の最大の争点について示唆する格好の材料である。すなわち、このようなケースを「広義の強制」に含めるか否かが問題なのだが、現実には詐欺被害を訴えても多くは事件化することなく現地で”円満解決”が図られているから、第三者には判断が難しい。

この点、少なくない将兵が、慰安所の朝鮮人女性から「師範学校出の元女教師」だとか「騙された(=自分は素人である)」等と聞いたと回想している。多くは行為中に聞いており、これをどう解すべきか。確かに詐欺の被害に遭った人もいただろうが、一方でこの種のサービスに従事する女性特有の営業トークが過分に含まれているとも解するべきだろう。騙されて連れて来られた女性の全てが唯々諾々と売春を承諾すると考えるのは不自然である。「気の毒に思って金だけ置いてきた」という将兵は人は良いが野暮だったのかもしれないわけだ。同様に、内地から戦地を訪問した婦人会(出征兵士の妻)が奉仕を余儀なくされたという非道い話もある。話の出所は元中共戦犯らしいが、常識的に考えて欲しい。下手な作り話である。男ばかりの軍隊では、この種の情欲に訴える猥談が必要とされ、虚実入り乱れて楽しまれていた。作戦討伐から帰った部隊を、和服に白いエプロンで肩には「大日本国防婦人会」の襷をかけた(コスプレの)朝鮮人慰安婦が城門外まで迎えてくれたとは、山西省河津で隊付をしていた江頭軍医の回想だ。ちなみに戦場では猥談だけでなくグッズも出回っていた。日本兵が中国婦人を「性奴隷」として辱める怪しげな写真を中国商人が売り歩いていたとは、華北に出征した刀剣家の成瀬関次が噴飯気味に回想しているエピソードである。

正規の慰安所で、詐欺により半ば諦めで奉仕を承諾した女性のケースを考えてみよう。これを「自由意志」とすることは、法的にはグレーでも道義的には不当極まりない。ところが、承諾しての応募と詐欺被害、さらに現地での軍の圧力の有無については第三者は判断できず、その線引きは本人の証言による他ない。元慰安婦への補償、すなわち、日本政府として責任を認めるということを、玉虫色と批判されるアジア女性基金で解決を図った、その事実こそが当時の実態を如実に示している。

補記:
慰安婦に関する最も信頼に足る研究は、秦郁彦『慰安婦と戦場の性』(新潮社,1999年)である。史実だけでなく、慰安婦問題が政治化された経緯についても詳しい。また、公文書や関係者への聞き取り調査など、慰安婦に関する資料については、『政府調査「従軍慰安婦」関係資料集成』(国会図書館WARP所収)が適当である。関心のある方は参照されたい。

初出:http://shanxi.nekoyamada.com/archives/000399.html

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18 thoughts on “慰安婦と野暮な男とアジア女性基金による解決

  1. yama

    ほっけさま
    貴方のホームページでもコメントでお聞きしましたが、拙稿を紹介・論評されるにあたってお願いがございます。
    拙稿について、「秦郁彦による従軍慰安婦論争の経緯を信用してしまい」と書かれていますが、具体的に拙稿のどの箇所が秦氏の論に依拠していると思われるのでしょうか。吉田清治証言が虚言であることは秦氏の業績としましても、拙稿で挙げた具体例は、すべて秦氏(また政府調査)以外からのソースであることからもオリジナルな論考と考えています。もし追記で秦氏の著作を推奨していることからの憶測でしたら誤りですから訂正をお願いします。
    また、「誤解の上に主張を積み上げてしまった」というからには、私の論考が相当にトンチンカンな論理・結論になっているということを示唆していると思われますので、具体的にどのようにトンチンカンであるのか、ご教示いただけませんでしょうか。なにぶん「歴史修正主義的な見解」が何であるのか、私には皆目見当がつきません。
    もし上記の二点について、明確な回答をお返しいただけないのでしたら、当該記事をホームページから削除いただきたいと思います。

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  2. 富田

    デタラメも程々に。
    強制が有ったのは事実で、嫌だと言ってもやめさせて貰えなかったのは強制に他ならない。
    史実を無視した、恥を晒すのは日本人として悲しい事だ。
    右翼と間違われますぞ。

    Reply
  3. yama

    富田さん、デタラメなのはあなたの考え方でしょう。
    あなたも「狭義の強制」はなく「広義の強制」があったとお考えなのでしょうが、「広義の強制」という言葉(法的責任を含めて)が認められるのは、委託業者の不法行為(善良なる婦女子を詐欺等で騙して輸送し、監禁状態で売春に従事さすこと)が立証された上で、その委託業者を監督していた軍もしくは現職公務員たる軍人が、通常の業務委託の範囲を超えて、不法行為を容認もしくは推奨していたことが立証されねばなりません。
    本稿にも記しているように、婦女暴行事件として扱われるべき問題を除き、問題とされるケースで事実性の高いものの全てが玉虫色であり、日本政府がアジア女性基金で解決を図ったこと、その事実こそが当時の実態を如実に示しているとしか言いようがありません。
    反論がありましたらなんなりとどうぞ。

    Reply
  4. 中国山西陈尚士

    通过亚洲女性基金解决慰安妇和痴汉的问题
    土八路译自日本网络
    http://shanxi.nekoyamada.com/
    前些日子,安倍首相就慰安妇问题,发表了这样的意思的谈话,即“军队的参与是有的,但没有强制”。虽然有人把这个言论批评为自相矛盾的谎言什么的,但却没有切中要害。因为“有军队的参与”和“没有强制”毕竟是不可分离的。作为原则,“(因为)有了军队的参与,所以强制就是(不可)能的”,史实也大致是那样的。在这一点上,安倍的谈话没有任何过错。虽然为将士们提供性服务的慰安所,是民间业者经营的,但有关其开设,军队是有许可权的。一般认为,在日华事变的南京之战以后,慰安所就开设了。不过,在华北,早在事变爆发之后的8月末,业者就在察哈尔战线,提出了开设申请,由兵团司令部审查其请求意思的记录,还保留在史料里。这个时候,据称“17个娘子军来到了张(张家口?),很勇敢的”,但据说“军医部、宪兵的主张是不开设” 。
    如果开设慰安所被许可的话,对于将士们来说,好像也会有等待得不耐烦的情况、以及部队的长官命令工兵建设营业小屋的情况。实际上,如果开始营业,为了维持“正常的营运”,作为军队,是要给予各种各样的方便那是自然的,从通过军医的预防医疗,到物资的融通、运输手段的提供等等,都要为这些事务而努力。根据政府的调查,据说也有“直接经营”的情况。在这一点上,军队的参与是明确无误的。
    开设在上海的慰安所
    每日新闻社,1938年
    (土八路注:门旁条幅的意思是,热烈欢迎圣战大胜的勇士,大和女子奉献身心的服务)
    在这里应该注意的是,起初像这样的兵营外服务,据说不仅仅是慰安所,从将校团征用一家饭馆、带来类似于俚语谈话的(人员),到伴随着乡土联队的出征、杂货店的老板也跟随着在兵营内开设零售店,就好像呆在日本内地的时候一样,将粗糙的糕点卖给年轻将士的微笑服务等等,应有尽有,服务的范围广阔。毕竟一个联队有近两千人,这些人自然要成为主顾,所以各类业者一个接一个来依附,这当然也就不足为怪。在出征士兵的回忆录里,一般都写着日本人在兵营外经营饭馆,他们慕恋饭馆的姑娘之回忆。
    再返回到慰安所的话题,不仅军队发放开设的许可证,而且对于实际的经营也深深地参与了。所以,根据程度的不同,被问及管理责任是自不待言的事情。这里边,对于没有承诺性服务的女性,是否强迫其奉献就成为问题。关于这个论点,使用了“狭义的强制”和“广义的强制”这样的概念,前者说的是军队以及官宪等直接行使公共权力,强迫服务的情况,后者说的是,虽然没有直接性的强逼,但违背自己的意志,不得不承诺的情况。
    关于官宪所致的绑架,已经证实了由执行者立场陈述的、吉田清治的惟一证言是谎言。另外,没有发现军队以及官宪命令征用之类的、显示强逼的史料。因此,关于“狭义的强制”,是不能够确认的,这是国家的姿态。安倍的谈话也是这样的,河野的谈话也是如此(虽然语气上存在着若干微妙差别)。由公共权力导致的强逼卖春等,即使在当时,在法令上、在社会的一般观念上,毕竟都是不被容许的。
    这一点上,具有这样的主张,即在东京审判时,或者被作为证据采用,或者在审判乙丙级战犯时,认定有强制的情形,但是,与所谓正式的慰安所相比,这些应该解释为别的不法的“私设慰安所”,也就是应该解释为战地犯罪(强暴妇女、拐骗监禁)吧。即使是荷兰女性受到伤害的著名的马斯拉事件,就像军队命令关闭(慰安所)两个月那样,强迫卖春也是不被容许的。当然,就像马斯拉事件那样,作为军人的公务员,既然参与了犯罪,作为日本国,是不能够推脱责任的。另外,大多数正规的慰安所的存在,是不是助长了不法的“私设慰安所”的开设,也就是助长了犯罪呢?这样的议论、以及对于同为臣民的朝鲜人和对于敌国人不同的待遇,在这一点上的议论,也是可以的。东京审判时,被作为证据而采用的事件,都是对于处在外地的敌国人进行的。但是,从追求正确史实的观点出发,是不应该轻易地使用慰安妇这一称呼的,说到底,在正规的慰安所,应该限定在女招待和娼妇的雇佣。因为将正规的慰安所与战地犯罪这两者混为一谈,所以就变成了“多达10万人的慰安妇被强行带走”等等可笑的论谈。既然慰安妇(女招待和娼妇)在社会的一般观念上被看作是下贱的职业,那么,将性犯罪的受害者称作慰安妇,不是很失礼的吗?在政治上加以利用慰安妇问题之辈,把两者混为一谈,在某些地方是具有操纵虚像增幅印象的。
    这是河南省的“慰安所”和乘人力车通过其前面的日本军人。
    提供性服务的店铺,那个时候如同一般茶馆或饭店,一看名称就明白。
    (每日新闻社1938年)
    关于“广义的强制”,虽然没有物理上的强制,但是,从自己所处的情况来看,是违背其意志,不得不承诺的情形。(慰安妇)被不良的业者欺骗带来,或者被父母卖掉,到达当地之后,被要求奉献,在偏僻的地方,想回也回不去,想逃又逃不脱,毫无办法而不得不承诺,这样情形是有的。所谓的把慰安所作为必需的军队,与不良业者的勾结,往往认为有可能发生。但既然军队参与了,还是不会放任不管的。对于军队来说,所谓的慰安所,作为将士们频繁利用的设施,在军纪上是不会动摇的,所以,假使有强迫女性充当慰安妇之类的残暴行为,那也要依据军法裁决,必须排除不良业者。因为是民营,所以不会达成随便处置的情况等。比如,曾经驻留在山西省潞安的浅汤军医,他介绍了被骗来的朝鲜妇女们集体向宪兵队控告的小故事。那个时候,据说通过商谈,以对于未成年的女子,给予一年的延缓等条件而得到了解决。关于慰安妇问题的最大争论点,这个情形是具有启发的适当材料。也就是说,将这样的情形是否包括在“广义的强制”里,就成了问题。但是,现实中即使控告欺诈受害,好多情况也不是事件化的事端,由于在当地谋求“圆满解决”,第三者是难于判断的。
    在这一方面,不少将士回忆道,他们从慰安所的朝鲜女人那里,听到据说是“师范出身的原女教师” 等等(受骗=自己是良家妇女),好多人是在性行为中听到的,应该怎样解答这个问题呢?也许有人的确遇到了欺诈受害吧,但另一方面,也应该理解为,从事这种服务的女性,过分地包含着其特有的营业手段吧?考虑到被带来的全部受骗女性,都唯唯诺诺地答应买春,是很不自然的做作。“觉得可怜,只来留下金钱”的将士,其人是好的,可也许是愚蠢的人。同样由日本内地访问战地的妇人会(出征将士的妻子),也发生了不得不奉献的、非人道的残酷事情。这个传说好像是出自原中共(管制)的战犯之口,希望读者加以合乎常识的考虑。这是编造的拙劣谎言。在全是些男子的军队里,对于这种情欲的猥亵控诉被作为必需,虚实相间,在混乱中被(人家)取乐。朝鲜慰安妇身着和服,配以围裙,肩上斜跨着“大日本国防妇人会”的绶带,到城门外迎接讨伐作战归来的部队,这是山西省河津县担任队付的江头军医的回忆。顺便说一下,在战场上,不仅仅是话,也出现人物。日本兵将中国妇女作为“性奴隶”而侮辱的可疑照片,中国商人拿着它沿街叫卖,这件事是出征华北的刀剑家成濑关次忍不住发笑而回忆的一个插曲。
    我们试想一下这样的情形吧,即在正规的慰安所,受到欺诈,在中途报乐观态度、想得开而承诺奉献的女性。把这样的情况作为“自由意志”,在法律上也是灰色的,在道义上也是极不适当的。但是,关于承诺之后的应招与欺诈,进而在当地有无军队的压力,第三者是不能够判断的,其描述只能依据本人的证言。对于原慰安妇的补偿,也就是作为日本政府承认责任这件事被批评得忽绿忽紫,谋求通过亚洲女性基金来解决的那些事实,正是如实地反应了当时的实际情况。
    补记:
    关于慰安妇的最足以信赖的研究,是秦邦彦《慰安妇与战场上的性》(新潮社,1999年)。该书不光在史实方面,在关于慰安妇问题被政治化的原委方面也很详尽。另外,对于公文信件以及相关者的调查取证等有关慰安妇的资料,《政府调查‘从军慰安妇’关系资料集成》(国会图书馆WARP收藏)是适当的。希望关心这个问题的同志们参阅。

    Reply
  5. 有事找我陆好善

    很高兴看到陈先生的译文。早就对这一篇看着不爽了,只可惜看不懂,现在有译文就好办了。
    下面先请各位客官听首歌吧,既然该文提到了南京,那么就请听这首EDIQ的《画眉》。虽然歌词作者没有明说,但是听听就知道了,这不正是写的1937年的南京大屠杀嘛。
    齐眉低身对笑兮,魂化雀鸟翔,梅雨声声凄。
    《画眉》
    http://www.tudou.com/programs/view/PdbKebnVCvw/
    歌词:
    秦淮河水凉,
    石桥墨竹晃,
    画眉雨中飞,
    静落他窗框。
    前生乌衣巷,
    月潮空城荡,
    素面望,
    北城墙,
    桂树已蔓火光。
    城门破叫嚷,
    他身在何方,
    院外敌军狂,
    院内披新妆。
    菱花铜镜凉,
    眉添黛料香,
    魂飞散,
    只盼望,
    君健在安康。
    与彼共醉兮,
    桃花飞往兮,
    偷偷弄墨涂画你睡脸兮,
    齐眉低身对笑兮,
    新婚吹烛相拥兮,
    如今唱离梅雨声声凄。
    四季酿麦香,
    魂化雀鸟翔,
    飞过秦淮河,
    寻觅他模样。
    白鬓皱纹浓,
    手握竹杖长,
    雀嘶啼,
    北风荒,
    只剩眉线连长。
    寒夜烟花烫,
    他又执灯望,
    石桥陌路人,
    不见她模样。
    饭淡茶水凉,
    灯灭催魂亡,
    画眉鸟,
    成一双,
    比眉伴天荒。
    不忘共醉兮,
    桃花飞往兮,
    偷偷弄墨涂画你睡脸兮,
    齐眉低身对笑兮,
    新婚吹烛相拥兮,
    如今唱离梅雨声声凄。

    Reply
  6. 有事找我陆好善

    虽然一直对看不懂这篇文章耿耿于怀,不过看完以后倒是情绪稳定了。
    首先我非常赞同你说的不应将性犯罪的受害者称作慰安妇,这一点在我们中国已经有很多人提出来,不知道最初是谁把二者混为一谈的,但是你说是将二者混为一谈是在政治上加以利用有什么证据吗?众所周知,那些性暴力受害者,无论是偶发性的强奸轮奸(其中多数人都逃不了最后被杀的命运,因为加害者要掩人耳目),还是有计划的被抓到炮楼遭到驻军持续奸污的农村少女,其受害程度都要远远高于你们概念中的卖春妇。中国人有什么必要避重就轻?
    说起掳掠妇女和慰安妇的关系,我听说山西盂县前去日本打官司的受害妇女还被你们问到日本人给了多少小费。对,其中确实牵涉到金钱。女孩子们被日本兵抓走遭受性暴力,其父母则在家里典田卖地,倾家荡产攒凑钱,好赶在女儿被虐死之前交给皇军好赎回女儿。这就是此类肮脏行径所涉及的金钱交易。我孤陋寡闻,只知道占山为王的土匪才会这样绑票。皇军干的就是这样的土匪勾当。
    除此我就不太感兴趣了,慰安妇制度虽然罪恶,但是如果你们日本人自己都觉得让自己的女同胞干这个没什么,既然你们自己都不尊重自己国家的女性,不顾其中的无人性无人道而将他们贱视为卖春妇,那么我们中国人还能说什么呢?我们没意见,真的没意见。当年在扬州的慰安所里曾经发生过两件轰动一时的事,其中一件就是,一个日本军人在去慰安所寻找安慰的时候,居然发现隔壁房间躺着的就是自己的妻子。你们的军人肯定觉得很荣幸吧,自己的妻子也响应号召来为伟大的天皇投身工作了,全家都很爱国的嘛。照你看来你们的军人完全不应该和妻子一起自杀嘛,只要根据劳工法积极为妻子争取更好的工作条件和待遇就好了嘛,慰安妇涉及的就是女工待遇问题嘛。
    在扬州慰安所发生的另一件轰动的事是什么呢?一个被强抓来的中国慰安妇,乘隙杀死一名前来接受慰安的日本军官逃走了。这说明什么呢?慰安所绝不只是日本民间人士欺诈性募集日韩女性的结果。你们要侮辱自己国家的妇女随你们的便,但是请别侮辱那些被掳掠强迫的中国慰安妇。
    别说什么战地犯罪就和你们政府没有关系了,对如此大规模发生的战地犯罪的不察本身就是政府的严重失职,在小兵扣错一颗纽扣就要挨长官殴打体罚的日本军队里,强奸都是士兵自己胡作为非,层层长官对如此多的奸杀行为完全不了解,这谁信?在长达近十年的战争中,日军因强奸被诉上军事法庭的事例据说一个巴掌就能数得过来,而且军官因强奸被诉的一个都没有,真是讽刺啊,谷寿夫在南京强奸中国妇女的录像带到现在还保留着的吧。
    最后至于你说让日本人刀剑家喷饭的“日本兵将中国妇女作为‘性奴隶’而侮辱的可疑照片,中国商人拿着它沿街叫卖”一事,你是不是也觉得很好笑呢?无独有偶,你们在中国也留下了一些当年日本慰安妇和嫖客性交的春宫照片,虽然是黑白的但还拍得蛮清楚蛮养眼的,目前在网络论坛上广泛流传,中国人看了也都很喷饭。侮辱人是谁都会的,这有意思吗?

    Reply
  7. 陆好善

    http://www.tudou.com/programs/view/wN0oeLscsWg/
    为什么不能发表?不是很好听吗?只要对秦淮河,乌衣巷等词语稍敏感些就知道这首歌说的是什么了。
    《画眉》
    作曲:M.H.C@(丢丢)
    作词:EDIQ
    演唱:HITA
    秦淮河水凉,石桥墨竹晃,画眉雨中飞,静落他窗框。
    前生乌衣巷,月潮空城荡,素面望,北城墙,桂树已蔓火光。
    城门破叫嚷,他身在何方,院外敌军狂,院内披新妆。
    菱花铜镜凉,眉添黛料香,魂飞散,只盼望,君健在安康。
    与彼共醉兮,桃花飞往兮,偷偷弄墨涂画你睡脸兮,
    齐眉低身对笑兮,新婚吹烛相拥兮,如今唱离梅雨声声凄。
    四季酿麦香,魂化雀鸟翔,飞过秦淮河,寻觅他模样。
    白鬓皱纹浓,手握竹杖长,雀嘶啼,北风荒,只剩眉线连长。
    寒夜烟花烫,他又执灯望,石桥陌路人,不见她模样。
    饭淡茶水凉,灯灭催魂亡,画眉鸟,成一双,比眉伴天荒。
    不忘共醉兮,桃花飞往兮,偷偷弄墨涂画你睡脸兮,
    齐眉低身对笑兮,新婚吹烛相拥兮,如今唱离梅雨声声凄。

    Reply
  8. 河野談話を守る会

    「狭義」と「広義」を分けて考える必要などどこにも無いと思いますが・・・・
    アメリカ、カナダ、当事者国オランダやフィリピン、韓国、台湾など、どの国の慰安婦決議もそのような器用な事はしていません。
    日本の右翼論壇とその代表である安倍氏だけが、「狭義」と「広義」を分けて、「狭義」はなかったという器用な談話を出しました。
    それでも関特演など、直接総督府の官憲が関与したケースもあった訳です。秦氏は3000人に目減りさせていましたが、それでも集めた側からの証言があり・・・その集め方がそれ以前の女衒の集め方とほとんど同じであった事は真鍋元之がこう書いています。
    『ある日赤紙が来て』 真鍋元之著  1981
    1942年頃、平陽鎮の軍専用慰安所
    つねに満員だったと言う。
    「私の馴染んだ慰安婦は、職業用の日本名をミサオと呼んでいた。生家は江原道のもっとも貧しい農家だったが、ある日突然村長がやってきて「軍の命令だ。お国への御奉公に、娘を差し出せ」という。御奉公の意味がすぐに分かったので、父母は手を合わせ声の限りに哀号を繰り返したが、村長は耳を貸さない。この面(村)へ8名の割り当てが来たが、面には娘は5人しかいないから、ひとりも容赦はならぬ、とニベもなく言い放つ。村長の背後では、刀を吊った日本人の巡査(警官)が、肩をそびやかせている。5名の村娘が、石ころのようにトラックに乗せられ、村境の土橋を渡ったのが、故郷との別れであった。文字が書けないので、家族の安否を、手紙で問い合わせる事もできない。・・・
    こうした証言からは明らかに強い強制性があったと言えるでしょう。
    また、例え集めた時に官憲がやらなくても、女衒が騙して集めて慰安所に放り込んだ後で、強制がなされても同じ事でしょう。
    慰安婦は「籠の鳥」であった
    実際に歩哨が立っていた慰安所もあり、ほとんどの慰安所では、慰安婦の外出は、決められた範囲内以外は禁止されていた。フィリピンのイロイロ市の慰安所では、慰安婦の散歩は朝の8時から10時までと決められており、それ以外の時間の外出は厳禁されていた。さらに逃亡防止のために散歩地域も狭い「公園内」と指定されていた。
    江戸時代の公娼制度下の吉原遊郭では、出入り口は厳重に閉じられ、役人、やくざものや用心棒がその門を守っていた。万一逃亡すると厳罰が待っていた。罰したのは幕府であった。
    やがて江戸時代が終ったが、明治以降の公娼制度の下で、業者は売春婦の外出を制限し、逃亡防止のために用心棒を雇っていた。こうして奴隷状態にしていたのである。
    それと同じように軍慰安婦においても、大きな慰安所町では、憲兵たちが巡回に来て、逃亡を防いでいたのである。元慰安婦の洪愛珍さんは、逃亡したが、憲兵隊につかまってしまい連れ戻されたという。(『中国に連行された朝鮮人慰安婦』P54より)
    騙されて慰安婦にさせられた元慰安婦の宋神道さんも、何度も逃亡を試みているが、所持金はなく、中国語もわからず、逃亡を諦めた・・・と言うが、その小さな身体には、慰安を拒否したという理由で、軍人につけられた傷が無数に刻まれている。また、畳に軍刀を突きつけ、思い通りにさせようとした軍人もいたことが多くの証言からもわかる。(『従軍慰安婦をめぐる30のうそと真実』P33より)
    こうして、日本軍慰安婦の「強制性」はあきらかに認められるのである。

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  9. yama

    河野談話を守る会さんへ
    本文にも記しているように、慰安婦問題の争点は国家責任の有無ですから、まずは官憲たる公務員が具体的な犯罪行為に関与しているかが問われなくてはいけません。具体的に記せば、内地や朝鮮の村落で婦女子を拉致(略取)または甘言を弄するなどして誘い出し(誘拐)、戦地へ移送して(国外移送)、現地で身体を拘束し(監禁)、営業小屋でセックスサービスを強いたこと(強制わいせつ)が立証される必要があります。戦前の日本は法治国家で、朝鮮は外地であっても内地同様に国内刑法が適用されます。本当にこのような正気の沙汰ではない非道が、数万~数十万人の単位で行われたと、あなたは考えるのでしょうか?行政というのは杓子定規な世界ですから、具体的な指示や命令等が法令または通達等で明示されない限りは一連の作業を実施することはできません。しかも、募集・輸送・現地と、関係する機関・人も多岐にわたります。ところが、そのような婦女子の略取・誘拐を命じたり、それらの事実を前提とした公文書は(あなた方が信奉する吉見教授も参加した調査によっても)存在せず、あくまでも存在するのは私営もしくは公営の慰安所(娼館)運営及びそれに対する適法な支援に関するものだけです。この事実を、あなたはどう考えますか?
    “強制”だとか“侵略”だとか、具体的に何を根拠にして何を意味するのか不明瞭であるけれども一定の方向性(雰囲気)を示す単語を用いて法的責任に転嫁する、という手法は、騙されやすいので気をつけてください。何を書いて何を書いていないか、秘めたロジックはどこにあるのかを、書き手が何を意図しているかに着目してよく吟味することが重要です。ひとつの方法としては、昔も今も社会性はあまり変わらない、という部分です。現代の社会性を過去に投影させることで、ある程度、見えてきます。イマが見えていないと、過去も正しく理解できません。
    あなたが主義主張のくびきから解き放たれ、幸せになられることをお祈りしております。

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  10. かず色

    はしめまして
    先の大戦に於ける「軍と慰安婦(慰安所)」の関係を私なりに整理すれば、我が国やドイツは軍管理(直接的・間接的)の傾向が強く、米英は国内世論に慎重に配慮して基本的には民間業者に運営を全面的に委ねる傾向にあったものと考えます。そして、前者を「(広義の)戦時性暴力」と捉えるか否かについては議論が分かれます。
    私の見解は秦郁彦の主張に近いですが、一方で吉見義明が『従軍慰安婦』(岩波新書)で指摘している、当時の慰安婦制度の「広義の強制性」「人権蹂躙」といった視点も一概に無視すべきではないと考えるものです。但し、この場合に気をつけなくてはならないのは、ここから導き出される議論が「現代の価値観・視点で過去を批判する」という云わば『禁じ手』であり、真っ当な歴史議論となり得ないということです。従軍慰安婦の「狭義の強制性※」が歴史学的に否定された現在、左派論者はこうした点を理解し、例えばフェミニズムの視点等から純粋に従軍慰安婦問題を論ずるべきだと私は考えます。
    ※1992年にフランクフルトから大韓航空で帰国した際、隣席の韓国人ビジネスマンが読んでいた新聞に、女子挺身隊に関する小さな記事が載っていたのを思い出します。この当時は「女子挺身隊(国家による強制)=従軍慰安婦」という図式が、韓国では一般的だったのでしょう。
    ここからは余談です。
    随分以前ですが、京都の繁華街で同僚と飲んでいた時のことです。部下連中が気炎を上げて「風俗店に行きましょう!」と雪崩を打って木屋町通に向かっていったことがありました。私は部下連中に「行きましょう!」と脇を組まれ、彼らの愉快な雰囲気を壊すのも野暮かなと考えて、笑って付き合ったものです。
    風俗店の個室に通されると、薄暗い部屋に若く綺麗な女性が入ってきました。雑談の後、私は性行為を希望しない事を率直に伝え、鞄から子供の写真を取り出して、彼女に私の家族のこと等について話ました。彼女は私に、あまり幸福でなかった家庭環境を語りながら、私の家族写真を眺めていたことを思い出します。
    件の女性は、性サービス業に本来就きたくなかったのかもしれません。こうした性行為を金銭を介在させた「商行為」と割切ることは可能ですが、「現代的感覚」からいえば、それは男性の独善的考え方なのかもしれません。
    従軍慰安婦問題が非常にややこしいのは、こうした「現代的感覚(価値観)」で過去の歴史が語られ、断罪されることなのかもしれません。

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  11. yama

    かず色さま
    仰る通りだと思います。
    「広義の強制性」(人権侵害)の事例についてですが、国の調査では地方自治体の文書通達などに不良業者抑止の内容がありますし、現代社会における風俗産業でも往々にしてそのような不正・不幸があるようですから、常識的に考えて全くなかったわけはあり得ません。実際に慰安婦が集団で憲兵に訴えた、というエピソードもあります。しかし、軍が公務として携わる以上は、野放しで勝手処置ナシということは(原則として)あり得ないわけです。
    それから、朝鮮における女子挺進隊=慰安婦の図式ですが、実は戦前からそのような噂話がありました。ようするに猥談やジョークとしてですね。そして、30年もすればそれを馬鹿正直に信じる輩も出てくるわけです(しかもそれが大学教授だから手に負えない)。
    当然、30年くらいですとまだ当時を知る人は存命で、では、なぜその人たちが声を上げないのか、となりますが、猥談やジョークを信じるようなバカは真面目に議論の相手にしないですよね? 言わない=事実を認めた、ではなくて、言わない=相手にする価値すらない、でしょう。
    「金だけ置いてきた」あなたは野暮かもしれませんが、人としてまっとうです。当時もイマもあなたのような人は2割くらいはいます。6割は日和見主義で、1割が発達障害、残り1割が犯罪者です。

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  12. かろる

    業者を監督していた軍人が不法行為を容認していたことは既に立証されています。
    略取や誘拐というより募集広告の詐欺が悪徳業者の仕業ですが、この斡旋業者は日本軍の承認を受けた軍属の身分です。
    渡航許可証も日本軍属身分で発行されますので渡航目的や本人の素性について日本軍が審査する義務がありました。
    この人間は悪質じゃないと認定されて軍属の身分を与えられて、途中で悪質だと認定されれば軍属から外せます。
    戦地で移動の自由が制限される以上は日本軍が悪徳業者を厳しく取り締まる義務があったんですが実際は悪徳業者が野放しでした。
    戦争犯罪の下準備としての略取・誘拐・移送については日本軍のお墨付きの業者がやった事ですから日本軍には責任があります。

    現地では借金返済まで廃業不能だったという報告や証言は多々ありますが、借金と無関係に自由に辞めれたという報告や証言は稀です。
    日本軍に廃業許可証を提出して正当な理由であると認められて初めて廃業出来た訳ですが、
    当時も今も法律では廃業の自由を妨げてはいけない事になっているので、そもそも日本軍にそんな審査をする権利はありません。
    騙された女性達が必死で訴えたにも拘らず借金返済まで帰国できなかったのは廃業の自由を奪ってますから不法です。
    本人達が帰りたいと言っても日本軍は絶対に逃がさない監禁状態ですから、女性達は納得する以外の選択肢がありません。
    被害者がどれだけ嫌がっても日本軍の強制的説得の結果として最後は全て「円満解決」扱いでしたが、
    実際には廃業出来るかどうかが本人の意思でなく借金の有無で決まっていたので円満解決の真逆で強制労働です。
    基本的に廃業の自由がない状況で稀に日本軍と交渉成功して帰国出来たケースだけ抽出しても全体的な状況は変わりません。
    現地で慰安婦の勤務時間や移動や居住に至るまで、直接管理していたのは業者でなく日本軍ですから責任重大です。

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    1. yama Post author

      かろるさま
      仰っていることの事実関係については、おおむね賛成です。しかし、あなたの心証は気の毒です。なぜなら、この問題は、1)歴史的事実の確定とその事実に対する責任度合い、2)後世における政治的な解決手法の妥当性、これらを分けなければならないからです。政治的思惑によって、1)への印象がゆがめられ、2)の問題の増幅(蒸し返し)が生じています。あなたの認識は、1)について知識としては深く正確であっても残念ながら見る目がないので、2)で躓いてしまい、いろいろ腹が立つわけです。
      史実の点で言えば、斡旋業者は軍属とはいっても、正確には文官ではなく、雇員・雇人でしょう。役所でいえば、非常勤職員の区分にあたり、私法上の雇用関係にあったと思われます。ゆえに、斡旋業者の行いの責任はただちに業務委託元である軍には及びません。しかし、実際に無法・不法はあったわけですから、道義的な点でも、また、管理・監督責任についても軍に責任を問うことは当然です。これら1)については、かつてのアジア女性基金における調査研究活動でほぼ異論がないところでしょう。
      そして、万の事例のうち、どれくらいの割合で無法・不法が生じていたか、それら無法・不法を認識した時点でどのような対応策がとられていたかは、責任の度合いをどのように評価するかについて大きく影響します。私は、あなたが主張するように、無法・不法が全軍的に“横行”しており、委託先の悪徳業者をいつでも解職・解雇が可能なのにそうはしなかった、むしろ軍にとっては都合がよいから荷担したのだ!という糾弾は間違っていると思います。
      慰安婦という制度は、きわめて日本的な仕組みです。日本社会は個人の権利が曖昧な一方で、情緒・秩序が優先されます。軍というのは武力集団であり、日本社会のなかで最も高度な秩序が求められる組織です。その組織において、奴隷的な慰安婦の運用を行うことは、慰安婦に接する兵士の士気を削ぎ、慰安制度導入の意義を毀損します。ゆえに、そのような運用は原則として排除されました。オランダのスマラン事件は、左翼が慰安婦問題の好例として取り上げますが、むしろ、そのような奴隷的運用が少なくとも軍の建前として認めるわけにはいかなかったことを示す好例と考えます。
      もちろん、建前と現実は違いますから、評価のポイントは数の問題となります。どれくらい建前と現実の乖離があったのか、また、その乖離を放置ないし助長する意図があったのかは、当時の軍の管理監督責任を問う上で重要な論点です。現存する史料には、軍が再発防止を求める地方自治体向けの文書等が多く残されており、この手の事案が少なからず問題となっていたことを示しています。しかし、それが万の単位であったか、というと、そうではありません。繰り返しになりますが、軍にとって、体面上も実質上も、そのような不祥事というのは、年に数件あったとしても大問題なわけです。これは、公務ではない虐殺や掠奪・婦女暴行等の戦地犯罪についても同様に言えることです。ようは、後世の“日本軍悪虐史観”からすると、当の悪玉日本軍自身が問題にしているから大発生だろうと早とちりするわけですね。
      アジア女性基金での解決方法は、おそらく、このような史実に対する認識を元に設計・運用されたのだと思われます。循環論法になるので、あまり気分は良くありませんが、元慰安婦への補償、すなわち、日本政府として責任を認めるということを、玉虫色と批判されるアジア女性基金で解決を図った、その事実こそが当時の実態を如実に示していると考えます。アジア女性基金での解決方法以上にスマートなやり方は、私には思いつきません。
      この問題について、あなたが何らかの政治活動にコミットしているのか、その意思があるかはわかりませんが、戦前の歴史を色メガネで見ること無く認識したいと欲するならば、よい方法があります。今後も知識を吸収し続けるとともに、今あなたが生きている現実社会と共通する点がないかを常に自分の心に問うていくことです。そうすれば、主義主張のくびきから解き放たれて、もっと幸せになれるはずです。

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  13. オワコン

    「慰安婦に関する最も信頼に足る研究は、秦郁彦『慰安婦と戦場の性』(新潮社,1999年)である。」という時点でオワコンだよね。
    ああいういい加減なデタラメがたくさん書かれている贋作を見抜けないというのは、結局は慰安婦問題を理解していないからだというしかない。
    それにしても、>斡旋業者は軍属とはいっても、正確には文官ではなく、雇員・雇人でしょう。役所でいえば、非常勤職員の区分にあたり、私法上の雇用関係にあったと思われます。<の根拠は何なのかね?
    もし軍属であれば、それは軍の機能の一部だし、もともと「文官」と言ってもその中には、基地設営のための軍属とか、被服工場の人が入っているわけだが、そういうことも理解されていないのか?改定酒保規定ぐらいは読んでから言えばいいのに。(笑い)
    もしかして軍夫と混同しているのかね。まあ、意味不明だわな。

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    1. yama Post author

      オワコンさま
      オワコンという言葉の意味がいまいち理解できず、申し訳ございません(オジサンなもので)。
      ご指摘ですと、ブンカンの意味もよく理解していないということだそうで、重ねて申し訳ございません。
      オワコンさまのご多幸と、今後も社会を良くするための活動に精進していただくことをお祈り申し上げております。

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    1. yama Post author

      趣味でも仕事でも、とことんまで突き詰めた先で、真実や真理を獲得することができます。一度、それを手にすれば、世の中のほとんどの事象について、目の付け所・勘所がうすうす分かるような能力が養われます。ただ、1つ落とし穴がありまして、真実が見えてくる段階で、2つの分かれ道が出てきます。自分の感情を優先して真実に目を背けるか(弱い自分を優先して自分にウソをつく)、真実を受け止めて自分の認識を変えるかのどちらかです。
      真実を受け止めて自分の認識を変える作業というのは、時として狂死も意識・覚悟するほどのものです。そのような内面での壮絶な戦いを制した人こそが、人格を磨き、充実した人生を送ることができます。
      ある日、突然、20年も前に言われたこと・見たことを思い出し、スッと腹に落ちる瞬間というのがあります。そのような経験を繰り返すことで、揺るぎない自分を確立することができます。それがない自信というのは単なる自己愛であって、幸せにはなれないのです。物事を探求し、不都合な真実に目を背けず、見識を養い、他利的に生きてください。

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