書評:検証・中国における生体実験―東京帝大医学部の犯罪


731部隊について最も注目される違法な人体実験については、すでに研究が蓄積されたうえに、2007年の米国政府による特別調査チーム(IWG)による調査でも肝心のフェル・レポートが見つからなかったことで、これ以上の解明は困難とされていた。これに対し、本書は公刊された論文や報告書の記述から、結核予防法(BCG接種)の開発に伴う新たな人体実験の痕跡を指摘し、あわせてこれらの犯罪行為を支えたのが国の予防医療研究ネットワークであることを指摘する。著者の美馬聰昭氏は、長年、B型肝炎訴訟原告団の支援を行ってきた医師で、支援活動を進めるなかで得られた資料を医師ならではの知見で解釈を行い、上述の結論が得られたとする。事実であれば、これまでの通説を修正するインパクトを有するが、しかし、一読する限り、著者が明らかにしたとする新事実の多くは、”疑おうと思えば疑わしい”状況証拠を元にした推測に基づく断定が8-9割で、通説にとってかわるほどの説得力はない。ただ、これまでの731研究では見落とされていたり、空白であったいくつかの論点について有益な話題提供をしており、その点で高い価値を有するものと認めたい。

美馬聰昭『検証・中国における生体実験―東京帝大医学部の犯罪』桐書房,2013年

美馬聰昭『検証・中国における生体実験―東京帝大医学部の犯罪』桐書房,2013年

著者が本書を記すきっかけとなったのは、肺結核の予防として、BCGワクチンをどのように接種するか、その有効性と基準を策定する根拠となった学術論文や国の研究報告書に記載のデータを見ていくうちに、人体実験でしか得られないであろう内容を読み取ったことによる。問題の実験は、731部隊の前身である東郷部隊が背蔭河にあった1931年以降に行われたと見られるもので、これまでの731研究では明らかにされてこなかった背蔭河時代にこそ、大規模な人体実験が行われたとする。すなわち、これまで731研究では、一連の人体実験による犠牲者数は、多くても1000人台(初期の説は3000人台)で、研究者によっては1000人を下回るとしている。ところが本書で著者は、トータルで7000人を超えると指摘する。そして、731部隊長の石井四郎は、東大医学部出身者を中心とする国家プロジェクトの傀儡に過ぎなかった断じる。しかし、その論拠は、以下に指摘するように、必ずしも強固なものではない。

本書の白眉は、間違いなく冒頭に登場する日本学術会議編『結核予防接種に関する報告書』に関する指摘であろう(同書26-35頁)。著者は、同報告書に記載のBCGワクチンの感受性を示したデータについて、人間がモルモットの100倍であることから、表中の実験動物129匹が「マルタ」であると指摘する。この主張は説得力を有する。本報告書は1943年にまとめられており、関係論文の発表時期は早いもので1935年であるから、人体実験はそれ以前、すなわち、731部隊が平房に移駐する1936年よりも前の背蔭河時代に行われ、そのデータが元になっていることは、おそらく間違いあるまい。

この指摘だけでも非常に価値があり、インパクトもあるが、これ以降、本書は刊行論文や研究報告書に記載された被験体の「サル」や「モルモット」を人間である「マルタ」と読み替えて人数を数えていく。例えば、「工場養成工」の「工場」を背蔭河における実験施設の隠語であるとして読み替えたり(同書47-56頁)、モルモットの体重300-400グラムを100倍として30-40kgとしてマルタと読み替える(同書38、132-139頁)、サルの体重は50倍して成人体重と読み替えたうえで「カニクイザルは東洋人マルタ、アカゲザルは白人マルタ」と読み替える(同書177頁)。家兎も著者にかかれば「体重を二〇倍すれば人の体重になる」(同書189頁)。これらの読み替えの積算が6616人で「おそらく、七〇〇〇人を超える中国人がわが国の結核問題解決の犠牲になったのである」(同書139頁)とする。しかし、その論拠の多くは推測に基づく断定にとどまっており、この結論には眉につばをつけたほうが良さそうである。

一連の動物のヒトへの読み替えのなかで、「三〇〇g(三〇kg)前後の雄のマルタ(小学生くらいの男の子)」(同書132-139頁)というのは、とりわけ深刻な指摘である。これは、乾燥BCGワクチンの実験について報告した部内報告の論文で、ワクチン接種後に一定期間の観察の後に一斉に剖検しているため、合計で350人以上もの児童が被験者として殺害されたと指摘するものである。論文にはモルモットの体重300グラムと書かれているのを100倍すると30キログラムだから当時の小学生中~高学年という論法である。しかし、本書での体重の読み替えは前出のように100倍・50倍・20倍とさまざまで、なぜ、この論文については100倍の数値を当てはめるのか、といった論拠は示されていない。そもそも関東軍が権勢を誇る満州国とはいえ、果たして児童を350人以上(しかも男の子だけ!)も秘密裏に確保することが可能だったのか、ということを、まずは考慮すべきではないか。

問題の乾燥BCGワクチン接種実験に関する報告論文の一つ。右下の赤枠部分に実験動物として「海猽260匹」とある(海猽はモルモットの意味)。美馬はこれを人間の児童と読み替える。論文受理日は昭和19年(1944年)1月22日。論文からは実験場所が満州か内地かは分からない。内地であれば、そもそも不法な人体実験は無理である。 (出典:『陸軍軍医学校防疫研究報告 第二部』第8巻,不二出版,2005年)

問題の乾燥BCGワクチン接種実験に関する報告論文の一つ。右下の赤枠部分に実験動物として「海猽260匹」とある(海猽はモルモットの意味)。美馬はこれを人間の児童と読み替える。論文受理日は昭和19年(1944年)1月22日。論文からは実験場所が満州か内地かは分からない。内地であれば、そもそも不法な人体実験は無理である。
(出典:『陸軍軍医学校防疫研究報告 第二部』第8巻,不二出版,2005年)

この点について、当時の陸軍における人体実験の法的扱いを念頭に検討してみよう。

まず、問題の論文が発表された『陸軍軍医学校防疫研究報告第二部』というのは、第一部が「軍事秘密」で高度な秘匿がなされたのに対し、第二部は秘匿性の低い「秘」指定である(だから第一部は博士号の学位論文としていくつか残るものだけで原本は見つかっておらず、対して第二部は米軍が接収してマイクロフィルム化されたものが復刻出版されている)。実は、筆者の手元にある他の陸軍関係の公文書においても人体実験の事実は「秘」指定レベルで散見できる。ようするに、陸軍にとって厳重に秘密を守るべきことは、戦略や戦術に関する部隊運用や武器兵器に関する情報であって、人体実験が行われていることの事実そのものについては、必ずしも秘匿性が高いわけではない。だから単なる「秘」指定である『陸軍軍医学校防疫研究報告第二部』に人体実験の論文が掲載されていたとしてもそれは不思議ではないし、反対に問題の論文が本当に人体実験を示すものなのであれば、わざわざモルモットとせず、ストレートにヒトと記載したのではないか、とも考えられる。

次に、被験者の扱いについてだが、被験者のほとんどは、便衣兵(ゲリラ)や匪賊、スパイ、共産党活動員として捕らえられた者であった。彼らを被験者として取り扱う法的な根拠は、東部憲兵司令官をつとめた大谷敬二郎が戦後に指摘しているように、満州の関東軍で始められたという「厳重処分」という脱法的処置である。これは、軍法手続を行ったときに死罪に該当しそうだとか、種々の理由で放免できない者などを、現場判断で”死罪相当として適宜処分する”ことである。戦後に満州で地下から発掘された憲兵隊文書に記されている731部隊送致を意味する「特移級」の扱いとも符合する。すなわち、道徳的にも法的にも不当ではあるものの、731部隊をはじめ中国大陸で少なからず行われた人体実験の被験者は、ほぼ共通して日本の”敵”であったわけである。当時のゲリラや匪賊には、幼くは14-16歳程度の者も参加しており、そのような未成年者も”敵”として人体実験の被験者に供された例は確かに現存史料でも確認できる(→こちらのコラムを参照)。しかし、ゲリラや匪賊にも参加できない10-12歳程度の児童を”敵”として、しかも350人以上も被験者として調達することはあり得まい。問題の報告論文は終戦前年の1944年に受理されており、逆算して数年前に実験が行われたとしても、すでにその頃の満州国は”五族共和”をスローガンに統治が安定しており、背蔭河時代のような無茶ができる時代でもない。満州国内で健康な児童350人以上を人さらいのレベルを超えて、しかも解剖による殺害が前提で調達するなどということは、”慰安婦の強制連行”をもこえる突飛な愚論だ。

このほかにも、本書では検証不可能であったり、根拠があやふやな指摘が少なくない。例えば、海軍医官の研究報告も人体実験であると指弾するが(同書91頁)、陸軍の組織である731部隊に海軍医官が参加できるのか。それとも海軍にも731部隊同様の実験部隊があったとでもいうのであろうか。中国戦線で現地医療活動を行った同仁会も人体実験に手を染めたと指弾し(同書191-192)、その根拠は「特殊診療班」の設置に求めているが、その理由は「「特種」、「特別」あるいは「特殊」は生体実験の隠語」だからだという。特攻や毒ガス(特種煙)の例を出すまでもなく、明白な誤りである。特殊診療班は、コレラなどの伝染病患者(中国人)を入院させて治療する部門である。アジア歴史資料センターのホームページに特殊診療班の活動報告があるので見てみればよい(レファレンスナンバー:B05015319500、31-39・45-48画像目)。そもそも同仁会は外務省の対支文化事業の経費による活動であり、陸軍と協力はするものの、組織は全く別である。同仁会は中国人に対する医療活動に尽力し、現地で罹患して命を落とした邦人医師・看護婦も少なくない。彼らへの冒涜である。

以上のように、本書の内容のすべてはけして鵜呑みにすることはできないが、問題提起に見るべきものはあり、今後、本書に対する批判的な検証がなされることで、停滞気味だった731部隊研究に進展を促す契機になるものと思われる。本書のタイトルにもなっている東京帝大医学部を核とした人的ネットワークは、タイトルに附すほどの論証はされていないものの、解明への意欲をそそるし、とりわけ、人体実験の犠牲者数については、初期の説である3000人台を本書が補強することにつながるのではないか。

初出:http://shanxi.nekoyamada.com/archives/000966.html

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2 thoughts on “書評:検証・中国における生体実験―東京帝大医学部の犯罪

  1. 城戸圭子

    私は最近731部隊のことがとても気になります.戦後生まれの私は731部隊の実情を知りませんでした.今60歳近くになり私たちは国によって隠されていたことに気がつきました.私は名もない一庶民にすぎませんが日本が中国にもたらした損害はこの地球以上でありその罪は永遠に消えることはない.毎日なぜ裁かれていないのか疑問です.史上最悪の犯罪.恐ろしや〜.

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    1. yama Post author

      城戸さま
      731部隊の戦争犯罪を国が隠したと指摘されますが、隠しても出てきてしまうのが日本の特徴でしょう。
      ソ連や中国、米国も同様の所業を行っていますが、ソ連と中国(中国はもしかしたら現在進行形)からは、けして情報は漏れません。情報が漏れないのは、やっていないのではなく、専制的な政治体制だからです。
      致死の可能性がある生体実験で、日本は敵を被験者にしましたが、米国は平気で自国民を被験者にしました。どちらがマシだと思いますか?

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