『正論』六月号”化学兵器引継スクープ”の勇み足


保守派のオピニオン誌『正論』が六月号において”スクープ”と称して報じた、水間政憲氏の筆による「”遺棄化学兵器”は中国に引き渡されていた」という記事。すでに国会議員が国政の場でこの記事を取り上げており、政府は精査を約束、証拠にあたる史料の保管場所には警官が派遣されて警備にあたるなど話題を呼んでいる。

この記事は、山形のシベリア史料館に現存している旧軍の兵器引継書に化学兵器を示す記載が確認できるとし、日本側が莫大な経費を負担することで問題となっていた遺棄化学兵器処理問題において、従来の論拠が覆される”超一級の史料”であるとするものだ。問題の兵器引継書は、社会党市議を長年務め、シベリア抑留者の団体「全抑協」会長だった故斉藤六郎氏が、生前にソ連やロシアの公文書館から入手した大量の旧軍書類の中にあったもの。その数は兵器引継書だけでも六百冊に及ぶという。旧軍と中国軍との間に交わされた公文書がなぜロシアにあったのかは謎だが、中国軍の担当者の名前と印が押された書類には、武器弾薬から球のない電気スタンドやアイロン、烏口といった小物まで、全て数を数えてリストアップされており、几帳面に引継ぎがなされたことが良く分かる。そしてその中に、化学兵器が含まれているとするのが著者である水間氏の主張だ。

これが事実であれば、中国大陸にある化学兵器は”遺棄”ではなくなり、現在進められている処理事業が白紙撤回されかねない大発見と言って良いもので、それゆえに『正論』もグラビアページを惜しみなく使って大々的に報じた。水間氏は「一兆円とも言われる…税金の無駄を回避させることができる」「最終的には”中国の国家的詐欺”にとどめを刺すに違いない」と喜び勇んでいる。ところが記事を読んでみれば、その論証は全くもってお粗末な限りで、記事中に名指しで批判されている朝日新聞も苦笑いの誤報並みの勇み足と言って良い。記事を真に受けて動いた議員も政府も、茶番劇につきあわされたと言える。以下では一次史料をもとに、水間論文を検証していくこととする。

まず記事では、「代用弾の表現は化学弾が含まれていると思われる」「化学弾を含むと思われる各種代用弾も引継いでいる」と”代用弾説”を唱えているが、随分な珍説だ。旧軍における代用弾とは、弾頭部分などの材質を他の代用材に替えて作られた銃砲弾を言い、主として演習で使われたものだ。具体例は、著者にとって身近な所にある。著者自らグラビアページで紹介している国立公文書館所蔵史料の「秘密兵器概説綴」には、「九六式重迫撃砲弾薬九六式改造代用弾概説」が載っているが、そこには徹甲弾を改修してバラ砂を詰め、演習において土砂の飛散によって弾着観測を行うとしており、「破甲榴弾ニ代用シ平時ノ教育及演習ニ使用スルヲ主目的トス」と代用弾の意味をはっきり記載している。しかも史料本文の一頁目だ。目の端にも入らなかったとは到底思えない。ちなみに、なぜこの九六式重迫の代用弾だけが「秘密兵器概説綴」に載っているかというと、それは九六式重迫そのものが軍事極秘兵器として制定されており、代用弾を含む弾薬類も秘される必要があったからだ。

代用弾が化学弾とは全くの別物であることは次の例でも明らかだ。例えば、昭和十一年に青森県で予定された特種演習の発射弾種表には、野砲や榴弾砲用の「きい弾」「あか榴弾」と並び「代用弾乙」が列記されている。また、同年の習志野学校における演習用弾薬支給定数表でも、九四式軽迫撃砲用の「あおしろ弾」「きい弾」「あか弾」などの化学弾と並んで、「擬液弾」「代用弾」が列記されている。化学弾で最も数量の多い「きい弾」210発に対して、「代用弾」は3500発も支給されている。ようするに”化学弾の代用弾”として演習に使われたわけだ。

さらに記事では「三八式野砲九〇式代用弾(甲)は化学弾と見られる」「四一式山砲榴弾甲、四一式山砲榴弾乙は…化学弾のきい一号甲と乙と思われる。それは通常イペリットである」などとしているが間違いである。ここに言う甲乙は信管接合部などの形状の違いであり、化学剤の充填の有無やその種類とは全く関係がない。甲乙が分けられたのは昭和三年のことで、十年式瞬発信管若しくは八七式短延期信管を付けるために、「弾丸上部ニ信管接続筒ヲ螺着シ且安全度増加ノ目的ヲ以テ雷汞ヲ全然使用セサル八七式茗亜薬壺ヲ装着」できるように改修を施した新型を「乙」、それまでの三年式複働信管を付けていた旧型のものを「甲」と区別したのである。

この点、三八式(改造)野砲や四一式山砲といった口径75mm砲で使う化学弾には、「九二式あか榴弾」「九二式きい弾甲」「九二式あおしろ弾」などがあった。このうち、イペリットやルイサイトといったびらん性の「きい剤」が充填された「九二式きい弾甲」については、昭和十三年に”甲”の一字をとって「九二式きい弾」に名称が変更されている。このことを見ても、甲乙の名称で化学弾か否か判断することの愚かしさが分かる。そもそも「きい剤」は、敵兵や敵地の汚染を目的とした持久瓦斯である。破片で敵兵を殺傷することが目的の榴弾として「きい弾」が妥当か疑うべきだった。

そして「四年式十五榴弾砲榴弾は…やはり化学弾と見られる」という点にいたっては、なぜそのように解釈したのか想像もつかないが、ここに言う榴弾は「九二式榴弾」などの通常弾以外には考えようがない。ゆえに野戦造兵廠南京製造所の引継記録を見て、「抑止力としての化学弾は通常弾と比べると、極端に少量なのが実証できる」という指摘も全く当てはまらない。戦地において訓練用の代用弾の製造・備蓄が少ないのは当たり前だし、四年式十五榴について言えば、単に旧式(大正四年の制式)で装備数が少なかったからではないか。

ここまで指摘して、筆者ははたと思いついた。恐らく著者は旧軍兵器に関しては全くの素人であり、しかも「秘密兵器概説綴」だけを見て記事を書いたのではあるまいか。なぜなら「秘密兵器概説綴」には、九六式重迫といった極秘兵器以外の弾薬については化学弾しか記載がない。そのため、著者は極秘指定ではない、代用弾や通常弾の存在にも気が付かずこの記事を書いたのではないか。そう考えると、「四年式十五榴弾砲榴弾は…やはり化学弾と見られる」というトンチンカンな一文も合点がいく。四年式十五榴の頭文字が付いた弾薬で「秘密兵器概説綴」に載っているのは、「九二式尖鋭きい弾」など化学弾だけだからだ。

記事の検証に戻ろう。著者は”代用弾説”のほかにもおかしな解釈を披露している。「発射発煙筒など化学弾を含むと思われる各種代用弾も引継いでいる」という”発煙筒説”とでも呼べる解釈である。例えばグラビアページにも写っている「九九式発射発煙筒」は、「三百米以内ノ近距離ニ煙幕ヲ構成セシムルノ用ニ供ス」ことを目的としたもので、実戦で化学剤と一緒に使われた例はあるかもしれないが、あくまでも煙幕を張るための兵器である。化学剤を発射する兵器は別に「九八式発射あか筒」などがあり、発煙筒とは別物である。旧軍における兵器分類上の化学兵器とは、強毒性の化学剤が充填された「瓦斯筒(弾)」を言い、その隠語は一般的に「特種煙(弾)」であった。そして、全ての化学剤が”発煙”するわけではないことも指摘しておきたい。発煙するのは嘔吐くしゃみ性の「あか剤」や窒息性の「あおしろ剤」であり、びらん性の「きい剤」は発煙せず、液体滴状で飛散するのである。

“発煙筒説”に関連して筆者がどうしても良く分からないのが次のフレーズだ。「現在化学兵器にふくまれる発煙弾、発煙筒がほとんど引き継がれ…中国及び外務省が言う「化学兵器の引き継ぎに同意していない」は、嘘と証明できる」という箇所だ。必ずしも定かではないが、著者は現代における条文解釈と半世紀以上前の運用を混同しているのではなかろうか。著者自身「現在」と断っているように、そもそも旧軍の発煙筒(弾)に使われた「しろ剤」が化学剤に含まれるという解釈は化学兵器禁止条約を受けた日中間の取りきめによるが、すでに指摘したように旧軍においては発煙兵器と化学兵器は別物である。だから、当時の記録で発煙兵器が引き継ぎされているからといって、「あか剤」や「きい剤」といった化学兵器も引き継ぎがされたとは言えないのである。まさか著者とて、正式に引き継ぎが確認できる発煙兵器だけを峻別した上で、その処理(発煙剤の毒性は弱い)は中国側に任せよということが言いたいのではあるまい。

ここまで見てきたように、この記事の内容は旧軍兵器に詳しい人ならば一目見ておかしいと感じるレベルであり、実際、『正論』編集部には発行後すぐに防衛研究所から電話で指摘が入ったという。ところが、5月17日に東京で開催された著者の講演会に参加した人から聞く所によれば、著者は”代用弾”や”甲乙”などの批判を了解した上で、防研OBや旧軍関係者の協力を得ているからと強気だったという。専門家である彼らでも首をかしげる兵器が記載されているなら、それらは化学兵器の隠語に違いないと意気込んでいるというのである。まさに”陰謀史観”ではないか。

一例として著者は、「填薬弾」「九四式代用発煙筒」「テナカ弾」などを怪しいとして挙げたというが、そもそも「填薬弾」は炸薬を詰めただけで信管の付いていない未完成弾の事であり、「九四式代用発煙筒」は機能と成分は同じだが煙の量が半分の演習用、「テナカ弾」は手投火焔弾(瓶)の意味といった具合で、化学兵器とは全く関係がない。著者とブレーンが必要な検証作業を行っていないだけである。当日講演会で配布された史料のコピーには、このほかにも「四一式山砲榴弾カ」などが記載されているが、これについても著者は化学弾の”カ”ではないかなどと言っており、それは「火焔弾」の”カ”ではないかと、いちいち相手にしてはキリがあるまい。グラビアページで紹介している兵器引継書を眺める限り、化学兵器の引き継ぎを示唆する内容は見受けられず、史料を精査したところで、それこそ化学兵器の”カ”の字も出てこないのではないか、というのが筆者の率直な感想である。図らずも、5月12日の内閣委員会の場でこの記事を取り上げた議員が「いま流行のガセネタかなあ」と”予見”したかのような発言をしていたのは皮肉なことである。著者は、かつて南京事件を否定するために史料を改竄したと批判された故田中正明氏の弟子を自認しているようだが、この程度の史料読解力、論証力では、師匠も草葉の陰で泣いていよう。
本論で提示した根拠は、すべて戦前の一次史料に基づいている。いずれも戦前公文書をインターネットで閲覧できるアジア歴史資料センターのホームページで、筆者が自宅にいながらチェックしたものである。今回の『正論』記事は、初歩的な検証作業すら行っていないことが明らかな、あまりにもお粗末なものだ。筆者は山形の原史料を見ていないので何とも言えないが、”代用弾説”が成り立たない以上、この膨大な史料群はむしろ著者の思いとは正反対、すなわち、”化学弾だけは正式に引き継ぎされなかった”=”遺棄された”ことの傍証とされるのではなかろうか。藪をつついてなんとやら、「自ら自分の首を締める縄を綯っているようなもの」とは、著者にこそ当てはまるのではないか。

ここで、遺棄化学兵器問題について、三点、踏み込んだ論点を提示しよう。まず一点目は、記事でも触れられているように、関東軍の引継記録についてである。遺棄化学兵器の処理で最大の規模のものは、満州各地から集積されたハルパ嶺における処理事業であり、その点で言えば、むしろ関東軍の記録の方が重要である。もし山形にある史料で関東軍からソ連軍に対して化学兵器が制式に引き継ぎされたことが明らかになるのであれば、その処理は日本の責任ではなく、中国とロシアとの間で決着を付けるべき問題となる。引き継ぎ後の管理の実態を究明し、その処理費用の負担については(杜撰な管理で現地住民に生じた被害の補償とともに)、二国間で協議・解決すべき性質の問題になるのではないか。この点は、政府も史料の精査を約しており、調査結果を待ちたい。

二点目は、在華日本軍が国府軍に正式に化学兵器を引き継ぎしたとして、その後の国共内戦で化学兵器は使用されなかったのか、という論点だ。国府軍は日華事変前の内戦で、中共根拠地に対して化学兵器を使用したとされており、その後の日本との戦いでは、国府軍、中共軍ともにあか剤をはじめとする日本軍の化学兵器の威力を身に染みて体験している。ところが、戦後の国共内戦で化学兵器が使用されたとの話は、寡聞にして筆者は聞いたことがない。正式に引き継ぎを受けたはずの膨大な量の化学兵器の全てが死蔵されたと考えるのは妥当なのだろうか。後盾である米軍に気兼ねしたという見方はあり得るが、そもそも双方の手元に化学兵器がなかった、という見方はあり得る。国府軍はイペリットガス工場などの化学兵器プラントを建設していたが、それらは日華事変で日本軍に接収されて壊滅したし、中共軍に化学兵器を開発する力はなかった。終戦後は化学兵器を使いたくても、日本軍のもの以外には現物がなかったのである。中国大陸で化学兵器の引き継ぎがあったかなかったか、このような視点からも考えてみる必要があるのではないか。

三点目は、以上二つの論点から導きだされる仮定の話である。もし化学兵器の正式引継が、満州における関東軍では証明でき、中国大陸における支那派遣軍では証明できないのであれば、現在の遺棄化学兵器処理作業はあべこべに進められていることとなる。すなわち、政府の調査によれば、遺棄化学兵器は満州以外にも中国大陸全土に散らばっているとされており、本来ならばこちらの処理を行う法的責務があるのであって、現在プラント建設が進められている満州のハルパ嶺の処理については法的責務がないのではないか、という話である。もちろん、これは仮定の話に過ぎず、日中両政府、親中嫌中両派のすべてに人にとっておもしろくない結論ではある。しかし歴史研究者としては(不謹慎かも知れないが)興味深い論点なのである。

補記:
読者の方から論拠となる史料についてお問い合わせをいただいたため、目録を掲載します。以下に挙げた史料は、いずれもアジア歴史資料センターにて閲覧が可能です。史料名の後にある「Ref:」で始まる番号がレファレンスコードです。
・「秘密兵器概説綴」Ref:A03032131400
・「演習用弾薬特別支給ノ件」Ref:C01004236200
・「陸軍習志野学校演習用弾薬支給定数ノ件」Ref:C01001385400
・「三八式野砲及四一式山砲榴弾弾薬筒(乙)仮制式制定並野戦弾薬中改正ノ件」Ref:C01001122600
・「三八式野砲、四一式騎砲、改造三八式野砲、四一式山砲、弾薬九二式「あか」榴弾外二点仮制式制定並三八式野砲、弾薬八九式「あをしろ」弾制式削除ノ件」Ref:C01007477700
・「雑弾薬九九式発射発煙筒制式制定の件」Ref:C01006008300
・「火工教程第一部(野戦弾薬)」Ref:C01002302200
・「手投弾薬九四式代用発煙筒(甲)仮制式制定ノ件」Ref:C01001394400
・「弾薬特別支給ノ件」(テナカ弾) Ref:C01007264000

補記2:
その後、さる研究者の方から、正論記事で紹介されている以外の兵器引継書のコピーをいただきました。原本はいずれも山形のシベリア史料館に保管されているものです。目録すべてに目を通しましたが、いずれも化学兵器の記載はなかったことをご報告いたします。(2006.7.18)

補記3:
正論八月号で触れられている山砲弾の”カ”と”異式”云々について補足します。
著者の水間氏は、第一軍の兵器引継書に記載の「四一山砲カ弾」「九四山砲カ弾」について、「化学弾」の”カ”であるとしていますが、これは間違いで、「火焔弾」の”カ”ではないかという指摘は本文でご覧の通りです。他の部隊の兵器引継書でも、品目に「火焔弾」と「カ弾」の両方が記載されている例はありません。ただ、「四一式山砲榴弾カ」については、腔発防止などの理由で制式図面を変更して「加修」を行ったものを意味するのかもしれません。
また「異式擲弾筒」など、兵器名に”異式”の名称が冠されたものは、戦利品などで制式兵器ではないが、運用上使用を許可されたものを言います。戦利品でも国軍兵器として制式に使用する場合は準制式の手続き(例えばチェッコ機銃を「智式軽機関銃」)がとられ、員数表に記載されるのが日本陸軍の運用でした。ですから”異式”兵器は、日本陸軍では表外の存在になりますが、終戦時に引継品目として出現したわけで、これも化学兵器とは無関係であることをご報告いたします。(2006.7.21)

補記4:
その後、正論では10月号まで遺棄化学兵器問題を取り上げています。引継書には化学兵器の記載がないこと、通常弾や外国製砲弾も日本側が処理対象としていることはデマであること、「有毒発煙筒」には化学剤が混合されており単なる発煙筒とは異なること、など、正論記事の問題点について、こちらの「『正論』”遺棄化学兵器スクープ”の虚と実」で論評しています。興味のある方はご覧ください。(2006.9.9)

初出:http://shanxi.nekoyamada.com/archives/000192.html

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13 thoughts on “『正論』六月号”化学兵器引継スクープ”の勇み足

  1. では、発見された科学兵器物が日本のものよりもはるかに中国製・ロシア製が含まれているという点についてはいかがなものだろうか?
    加えて、施設建設における紆余曲折などあからさまな日本側への不当な条件等はいかがなものだろうか?

    Reply
  2. yama

    Mさん
    まず、このような便所の落書きのようなコメントには対応したくありません。他人のホームページにコメントを付ける以上、最低限の礼節はわきまえるべきでしょう。次回からはしっかりと「はじめまして~」「ホームページを読みました~」くらいの挨拶を付けてください。
    あまりこの問題についてお詳しくないようですから、論点だけ書きます。
    >では、発見された科学兵器物が日本のものよりもはるかに
    >中国製・ロシア製が含まれているという点についてはいか
    >がなものだろうか?
    まず、この問題は満州の関東軍と中国大陸の支那派遣軍とに分けて考えるべきです。その上で、化学兵器の発掘作業が行われているのは満州ハルパです。
    発掘された化学兵器が日本製よりも中国製・ロシア製が多いというニュースを私は聞いてませんが、いかにもありそうな話です。なぜなら、中国側は満州各地から化学兵器をハルパに集積していますから、その過程で中ソ紛争の際の“ゴミ”も一緒に集積・投棄したと考えられます。
    政府の検討委員会には、外務省だけでなく防衛庁からも専門家(歴史家)が参加しています。そこで出た結論が日本が責任をもって全数処理するというものです。中国側が「収拾」を行っている事実だけでは、条約上の法的責務を免れない(国際法上対抗力を持てない)という結論に達したものと思われます。
    >加えて、施設建設における紆余曲折などあからさまな日本
    >側への不当な条件等はいかがなものだろうか?
    不当な条件は反対すべきでしょう。あなたが政府に働きかけをしてみては如何ですか?

    Reply
  3. 郭晴

    はじめまして。この問題に関心がある者です。ブログの内容について少し疑問に思うところがあります。
    あなたは支那で日本軍が大々的に毒ガス戦を行ったので化学兵器はあったという前提で書かれていますが、そもそも毒ガス戦自体が虚構ではないですか?
    日本軍は支那に化学兵器を持って行っていない。そうすれば支那軍は日本軍の化学兵器を接収できず、国共内戦でも化学兵器は使われるはずはない。発見された化学兵器がソ連や支那製であったことも説明がつきます。

    Reply
  4. yama

    郭晴様
    中国大陸における化学戦が虚構であれば、あなたの仰る通り単純明快に説明がつきます。しかし、残念ながら間違いです。百歩譲って、あか剤以上の強毒性ガスが使われなかったとしても、あか剤の大規模使用、大量の化学兵器の配備・備蓄は、一次史料にて証明されており、この点で異論を唱える(まともな)研究者はいません。あか剤の使用を否定する兵科の旧軍関係者もいません。そして現実には、あか剤ほどの量・頻度ではないですが、きい剤も実戦で使われました。
    遺棄化学兵器の問題の理解を複雑にしているのは、下のコメントでも述べたように、関東軍と支那派遣軍とに分けて考えなければならないのに、(意図してかどうか分かりませんが)『正論』などはその点を交ぜて論じています。
    いま話題の処理費用の負担やプラント建設などで問題とされているのは満州ハルパ、すなわち関東軍の縄張りです。そして、終戦直前の侵攻でソ連軍は関東軍の防衛ラインを突破していますが、そこの要塞には化学兵器が大量に備蓄されていたとされます。防衛ラインを突破されて終戦、ということは、関東軍は物資・兵器を隠匿する間もなくソ連軍に武装解除を受けたことを意味します。ゆえに化学兵器について言えば、満州においては接収や滷獲を含め、少なくとも実質的には引き継ぎがあったと考えるのが自然です。
    そして支那派遣軍について見れば、中国戦線での化学兵器の使用は終戦一年前に大本営の命令で中止されています。すると、少なくとも内地からの化学兵器の補充・追送は途絶え、さらに野戦瓦斯部隊の帰還や化学兵器の内地還送もなされた可能性もあります。すると、終戦時に支那派遣軍が保有する化学兵器の現物は少なかったことになります。これは、満州を除く中国大陸では、工廠のあった南京市郊外で数万点の遺棄化学兵器が発見された例を除き、いずれも少量の遺棄であって、総量としても満州の70万点に対して3万点と、数の上で大きな差がある
    ことが傍証となります。
    その上で、満州と異なり、中国大陸では終戦での武装解除までに時間と余裕がありました。論拠は不明ですが、政府は化学兵器の引き継ぎを除外する命令があったとしています。数の上でも時間でも、そして兵力の上でも、それを実行する余地は充分にありました。
    そしてここから推論ですが、国府軍・中共軍双方ともに、化学兵器は喉から手が出るほど欲しかったはずで、中国大陸では少数ゆえに引き渡しせずに遺棄が出来たとしても、ソ連軍が満州で接収した化学兵器はあったわけです。ところが、関東軍の元兵士の方がソ連軍の監督下で化学兵器の投棄に従事したという証言があるように、ソ連軍はあえて中共軍に化学兵器を渡さなかったわけです。当時、スターリンは蒋介石に政権を握らせようと考えていたといいいますから、それが理由なのかもしれません。
    以上の推論を基にすると、もともと満州で遺棄された化学兵器の責任はソ連軍、すなわち現在のロシアに処理の責任があり、一方で満州以南の中国大陸で遺棄された化学兵器の責任は日本にあると言えます。そして問題は、満州や中国大陸で発掘された化学兵器を回収し、ハルパに埋めた中国の責任です。少なくとも、発掘・移送・埋没という一連の作業を政府事業として行っていますので、この関与の度合いによって責任を分担すべきである、という主張はアリでしょう。当然、政府も考慮したはずです。
    ただ、それらは「善意の第三者」による「緊急避難的対応」であると反論されればどうでしょうか。現実にはハルパで混在していて、すでに分別処理のしようがないなど、様々な法的な視点と政治的配慮が入り交じり、現在の結果に落ち着いたものと思われます。『正論』などは親中派議員や外務省を“売国奴”呼ばわりしていますが、史実(政府として正面から認めることが出来ないものも含めて)とともに、厳密な法解釈と条約の理解を通した落としどころとしての、正当な結論なのかもしれません。
    ただし、ここで述べてきたのは“メイトインジャパン”の化学兵器についてです。ソ連製や中国製の遺棄化学兵器の処理について、日本が責任を負う道理はありません。この点は、政府が説明責任を果たすべきでしょう。とは言っても、罵詈雑言や誤報・虚報に浸かっていては、理解も批判もトンチンカンなことになります。ご都合メディアに振り回されない見識を養ってください。

    Reply
  5. BN

    今月号の正論はもう読みました?
    台湾での引継書に化学弾の記載がありますよ。
    感想を聞かせてください。

    Reply
  6. yama

    BNさん
    書店でチラとしか見ていないのですが、印象としては「またか」といった感じです。関東軍の引継書は期待していたのですが…。
    著者の水間氏は、関東軍の引継書に記載の「十四年式十高砲弾」などの砲弾について、数万発の引継件数のなかに化学弾が含まれているとしています。非常に疑問です。「十四年式十高砲弾」とは口径105ミリの高射砲の弾です。空に向けてガスを打ち上げる軍隊は存在しません。
    一方で、台湾軍の引継書に「あか筒」など、化学兵器の品目が明確に記載されていたのは新鮮でした。ただ、矛盾を気にせずに紹介する正論編集部はマスメディアとしてどうでしょう?台湾軍だけ正直に記載して、関東軍や支那派遣軍は化学兵器を代用弾などの隠語で記載したというのは無理がありすぎです。
    九月号の正論記事が紹介する範囲では、関東軍の引継書には(やはり)化学兵器の引き継ぎはありません。しかし、下のコメントでも書きましたが、関東軍(満州)では実態としてあったはずです。政府や専門家による精査が必要だと思います。いかに貴重な史料であっても、ボンクラに扱われればゴミ同然だということの良い例でしょう。
    ついでに申し上げますと、こういった例は少なくありません。青木冨貴子さんが手に入れた石井将軍の直筆ノートですが、荷が重すぎたであろうことはすでに書評として書きました。今夏に借り受けた常石教授は、さっそく駿河湾での細菌作戦の記述を発表しています。番組の構成が疑惑を呼んで、本題とは別に騒がれていますが。

    Reply
  7. 松尾一郎

    管理人様あて
    私、松尾と申します。日中戦争関係を自分なりに調べているものです。
    「『正論』六月号“化学兵器引継スクープ”の勇み足 」を読ませて頂きました。大変興味深く、さらには思わず納得しました。もしよろしければこの文章を書かれた方は、どのような方なのでしょうか?もしどこかの書籍などに掲載されているようでしたら、その方の掲載された論文などを、お教え頂けませんでしょうか?このようなしっかりした文章こそ「正論」などに掲載されるべきだと思いました。

    Reply
  8. yama

    松尾さま
    お越しいただきありがとうございます。このホームページは趣味でやっていますので、どこの媒体にも掲載しておりません。いくつかのトピックについては、できれば論文にしたいと思い、継続して資料を集めていますが、今のところ本業が忙しく、いつになるか分かりません。
    南京戦についてはあまり見識を持ち合わせておりませんが、松尾さまの写真検証へのご尽力は存じ上げております。忌憚ないご意見を頂戴できれば幸いです。またお越しください。
    (コメントの掲載場所をこちらのページに移動させていただきました。ご了承ください)

    Reply
  9. 中国山西大同陈尚士(土八路)

    《正论》6月号“化学武器交接特讯”的闪失
    土八路译自http://shanxi.nekoyam ada.com/
    保守派的见解杂志《正论》,在其6月号上,称为“特讯”而报道了而这样一则记事,即由水间政宪执笔的《“遗弃的化学武器”曾经提交给了中国》。国会议员已经在国家政治场所提起了这一记事,政府约定要仔细调查,向承担着证据的史料保管场所派遣了警察负责警备,这类话题是引人注目的。
    在现存于山形县的西伯利亚史料馆的旧日军武器交接书上,显示化学武器的记载,一般认为是能够确认这则记事的,由于日本方面要承担巨额的经费,所以关于已经成为问题的遗弃化学武器的处理上,当然就会认为,以前的论据是被推翻的“超一级史料”。长年担任社会党市议员、曾被扣留在西伯利亚的、担任“全国被扣留者” 这一团体会长的已故斋藤六郎先生,他生前就从苏联以及俄国的公文书馆将大量的旧日军文件弄到手,成为问题的武器交接书,当然就在其中。仅仅是武器交接书,其数量,据说就多达600册。旧日军和中国军队之间交换的公文书为什么会落在俄国呢?尽管这是个谜,但在写有中国军队负责人的姓名和盖有印章的文件上,从武器弹药到没有灯泡的台灯、熨斗、画图用的圆规之类的细小物件,全都如数登记造册,我们知道这是规规矩矩一丝不苟的交接。而且,作者水间先生主张,他认为化学武器也被包括在内了。
    这样的判断如果是事实的话,那么,在中国大陆的化学武器就变得不是“遗弃”了,当然就可以说这是重大发现吧,现在进行的处理业务是很有可能撤回到原状,正因为这样,《正论》也使用照相页面,不惜笔墨地大肆进行了报道。水间先生欢呼雀跃:“能够避免税金的浪费……据称多达一兆日元” “这是‘中国国家性质的欺诈’最终加以一击,肯定置之于死地,” 可是,我们看看记事,它的论证粗制乱造,完全到了极点,在记事中被指名批评的朝日新闻认为,那些也可以说成等同于苦笑的过失误报。认真地受理了记事、闻风而动的议员和政府,都可以说面对的是一幕滑稽戏。下边,我决定以史料为基础,将水间的论文查检验证下去。
    首先,在记事里出现了“代用弹所表达的意思,一般认为包含有化学弹” “ 认为含有化学弹的各种代用弹也交接了”, 尽管提出了“代用弹之说”,但这是个相当奇妙的说法。所谓的旧日军的代用弹,说的是将弹头部分等材料,替换成其他的代用材料而制造的枪炮弹,主要是在演习时使用的东西。对于作者来说,具体的例子就近在其身边。在作者自己以拍摄的页面介绍的国立公文书馆所藏史料的“秘密武器概说集”里,虽然登载着“将96式重迫击炮弹药改造成96式代用弹概说”,但那是把穿甲弾进行了改装,在里面添充了散沙,演习的时侯,通过沙石的飞散来进行着弹点的观察,把代用弹的意思清楚地记载为:“用来代替破甲弹的使用,以平时的教育以及演习作为主要目的”。而且这是史料正文的第一页,我怎么也不会想到,连这样的文字也进不了(作者的)视野。附带说明一下,要说为什么只是这种96式重迫击炮的代用弹登在“秘密武器概说集”里呢?那是因为96式重迫击炮本身作为军事极密武器而被制造的,包括代用弹在内的弹药类也有必要隐匿的缘故。
    代用弹与化学弹是完全不同的东西,这一事实即使通过下边的例子也会一目了然的。比如说,昭和11年(1936年),在青森县预定的特种演习的发射弹种类表格里,开列着“代用弹乙”,它与野炮以及榴弹炮使用的“黄弹”“红弹”并列着。另外,在同一年的习志野学校演习使用的弹药支付定额表上,也开列着与94式轻迫击炮使用的“青白弹”“黄弹”“红弹”等化学弹并列着的“拟液弹”和“代用弹”。相对于化学弹数量最多的210发“黄弹”,“代用弹”竟支付了3000发之多。总而言之,就是作为“化学弹的代用弹”而使用于演习的。
    尽管在记事里进而写着:“38式野炮的90式代用弹(甲)被看做是化学弹”“41式山炮榴弹甲、41式山炮榴弹乙……一般认为是化学黄弹一号的甲和乙。那就是通常的芥子糜烂性毒气”等,但那是错误的。这里所说的甲和乙,是信管结合部等的形状不同,与有没有填充化学剂及其种类完全没有关系。分成甲乙两种是昭和3年(1928年)的时侯,因为要安装10年式的瞬发信管,或87式短延期信管,所以希望“把信管接续筒螺接在弹丸的上部,而且以增加安全度为目的,装上了完全使用雷酸汞的87式茗亚药壶”而加以改造,将这种改造后的新型弹称作“乙”,而将此前安装了3年式复动信管的旧型弹称为“甲”来加以区别的。
    这一点在38式(改造)野炮以及41式山炮这样的75mm口径的大炮所使用的化学弹上,有“92式红榴弹”“92式黄榴弹甲”“92式青白弹”等。这里边关于填充了芥子毒气以及路易士毒气这样的糜烂性“黄剂”的“92式黄弹甲”,是昭和13年(1938年)取一个“甲”字,名称被变更为“92式黄弹”的了。即使看这件事也就明白了以甲乙的名称来判断是不是化学弹,是多么愚蠢。“黄剂”毕竟是以污染敌兵以及敌地为目标的持久瓦斯,以弹片杀伤敌兵是作为榴弹的目的,而“黄弹”妥当吗?理应值得怀疑。
    而且,至于提到的“4年式15榴弹炮的榴弹……依然被看作化学弹”这一点,为什么是那么解释的呢?简直不可想象,这里所说的榴弹,只能考虑为“92式榴弹”等一般弹药。所以查看野战兵工厂南京制造所的交接记录,“与通常弹相比,作为抑制力的化学弹是及其少量的,这是能够证实的确凿证据”的指责也是完全不适当的。在战地,训练用的代用弹的制造和储备当然是很少的,况且就4年式的15榴弹而言,仅是旧式的(大正4年的制式),所以装备的数量肯定就少。
    指责到这里,我想到了另外的问题。对于旧日军的武器,恐怕作者完全是个外行吧,而且他是不是仅仅看了“秘密武器概说集”就写了记事的呢?我为什么这样说呢?在“秘密武器概说集”里,关于96式中迫击炮这样的极密武器以外的弹药,除了化学弹是没有记载的。因此,是不是作者连非极密指定的代用弹以及通常弹的存在也没有注意到就写了这则记事的呢?要是这样来考虑的话,“4年式15榴弹炮的榴弹……依然被看作化学弹”这样前后不符的一文也就能够理解了。因为以带有4年式15榴字样的弹药,登载于“秘密武器概说集” 上的,仅仅都是些“92式尖锐黄弹”等化学弹。
    再返回到论文查检验证上来吧。作者在“代用弹之说”之外,还披露了其他奇怪的解释。那就是“认为包括发射发烟筒等化学弹在内的各种代用弹也交接了”的、能够称作“发烟筒之说”的解释。比如,也印在拍摄页面的“99式发射发烟筒”,是 “供在300米以内的近距离形成烟幕使用”的,是以此作为目的的武器,也许在实战中有与化学剂一起使用的例子,但说到底是用于施放烟幕的武器。发射化学剂的武器,另外还有“98式发射红筒”等,所谓的发射筒是另外的东西。所谓的旧日军武器分类上的化学武器,说的是被填充了强毒性的“瓦斯筒(弹)”,其隐语一般是“特种烟(弹)”。而且全部的化学剂未必都要“发烟”,这一情况我也想指出来。发烟的武器是具有呕吐、打喷嚏性质的“红剂”以及窒息性的“青白剂”,而糜烂性的“黄剂”并不发烟,是以液体状态飞散的。
    关系到“发烟筒之说”,我怎么也弄不明白的,是如下这个地方的说法。“现在,包括化学武器在内的发烟弹、法烟筒几乎全都交接了……能够证明中国以及外务省所说的‘没有同意化学武器的交接’是一句谎话”。尽管不是确切的,我想是不是作者将现代的条文解释与半个多世纪以前的应用混为一谈了呢?就像作者本身所说的“现在”那样,当初使用于日军发烟筒(弹)的“白剂”,包含了化学剂的解释,尽管这是源自承诺禁止化学武器条约的日中之间的协定,但就像我所指出的那样,在旧日军时代,发烟武器和化学武器是两种不同的东西。 所以,在当时的记录里,尽管说发烟武器交接了,但是还不能说“红剂”以及“黄剂”等这些化学武器也交接了,莫非作者想要说的,只是将能够正式确认交接的发烟武器,在加以严格区别的基础上,打算将(毒性较弱的发烟剂)的处理委托给中国方面去做呢。
    就像您看到这里的那样,如果是对旧日军武器熟悉的人,一看这则记事的内容,对其水准就会感到滑稽可笑,实际上,据说《正论》编辑部发行后,很快就接到了由防卫研究所打来的指责电话。可是据参加了5月17日在东京举办的作者讲演会的人说,作者在了解了对“代用弹”以及“甲乙” 等批评的情况下,因为得到了防卫研究所OB以及旧日军当事者的协助而表现的气盛刚勇。要是记载的武器,让作为专家的那些人也感到奇怪的话,那么,那些记述就一定是化学武器的隐语,这会令人振奋,欢欣鼓舞的。这不正是“阴谋史观”吗?
    据作者说,作为一个例子,他列举了“添药弹”“94式代用发烟筒” “ 手中弹”等,他认为这些非比寻常。可是“添药弹”毕竟只是装填了炸药,还没有安装信管的未完成的弹药。“94式代用发烟筒”是演习用的,虽然其机能和成分是一样的,但烟量仅为正常的一半。“ 手中弹”是这么个情形,就是手投火焰弹(瓶)的意思,它与化学武器完全没有关系。只是作者及其智囊没有进行必要的查证作业。当天讲演会散发的史料复印件,除了这些以外,被记载的还有“41式山炮榴弹己”,可关于这一点,作者也说这个不正是化学弹的“己”吗等,而那个是不是“火焰弹”的“己”呢?要是一一作为(研究)对象的话,也许就不会有结果的吧。只要仔细看看拍摄页面介绍的武器交接书,显示化学武器交接的内容是看不到的,即使仔细查阅史料,那个化学武器的“己”字也是不会出现的吧,这些就是我直率的感想。不料在5月21日的内阁委员会的会场,提起这则记事的议员,作了似乎是“先见之明” 的发言,他说“也许是现在流行的虚假情报吧”,这件事令人啼笑皆非。已故的田中正明氏,他为了否定南京大屠杀而篡改了史料,曾经遭到了批判。似乎作者自认是田中正明的弟子,但是,他的这种程度的史料读解力、论证力,恐怕就连其师傅也会在九泉之下伤心得哭泣的吧。
    本论提示的根据,全部基于战前的原始史料。无论哪一方面都是能够通过因特网—亚洲历史资料中心的网页来阅览的战前公文,笔者尽管呆在家里,但都是检验核对过的。这一次《正论》的记事,是连初步的检查作业都没有进行的、过于明显的粗制乱造的东西,因为我没有看到山形县的原始史料,虽然还不能说什么,但既然“代用弹之说”不能成立,那么,倒不如说这么庞大的史料群与作者想的正好相反,也就是说,“只有化学弹没有被正式交接”就等于“被遗弃了”,不正是被作为这件事的旁证吗?做了多余的事情而惹出麻烦,“好像是在亲自搓捻勒紧自己脖子的绳索”这句话,对作者来说,不是很合适的吗?
    在这里,关于的遗弃化学武器问题,我要提示三点深入思考了的论点。首先第一点是,即使是记事,也就像触及到的那样,它是关于关东军的交接记录。规模最大的遗弃化学武器的处理,是从满洲各地收集在哈尔巴岭的处理事业,就这点而言,到不如说关东军方面的记录是重要的。如果凭借山形县的史料,(能够证明)化学武器由关东军对苏联军队按照规定的常例进行了交接,这件事情变得明朗了的话,那么,化学武器处理的责任就不在日本,就应该变成在中国和俄罗斯之间进行解决的问题了。关于查明交接后的管理实际情况以及化学武器的处理费用(由于管理不周密,发生于当地居民的伤害赔偿一并计算在内),其性质就成了应该由两国间协商解决的问题了。这一点,政府也约定仔细查阅史料,我要期待调查的结果。
    第二点是这样的论点,即,假使在华日军将化学武器正式交接给了中国的国民政府军,在其后的国共内战中,化学武器被使用了吗?一般认为,国民政府军在中日事变前的内战中,对中共根据地使用了化学武器,在其后与日本的战斗中,国民政府军和中共军都对以红剂为首的日军化学武器有铭刻于心的体验。但是,在战后的国共内战中,化学武器被使用的事情,因我孤陋寡闻得很,还没有听说过。应该正式受理交接的数量庞大的全部化学武器,考虑为死藏不用,这妥当吗?虽然可能有这样的看法,即顾虑作为后盾的美军;但也可能有这样的看法,即毕竟国共双方手里都没有化学武器。国民政府军虽然建设了芥子毒气厂设备等,不过,那些机器因中日事变被日军接受而毁灭,中共军没有开发化学武器的能力。战争结束后即使想使用化学武器,除了日军的化学武器以外,也没有现成的东西。在中国大陆,化学武器的交接究竟有没有进行?由这样的观点来考虑考虑,也是很有必要的!
    第三点,是由上述的两个论点引导出来的假定的事情。化学武器的正式交接,如果在满洲的关东军能够证明,而在中国大陆的支那派遣军不能证明的话,那么,现在的遗弃化学武器的处理作业,就会被推进到相反的境地。也就是说,是这么一种情形,即根据政府的调查,认为遗弃的化学武器,除满洲以外,还散布在中国大陆的全境,按理说是有法律责任进行这方面处理的,而关于现在设备建设被推进的满洲哈尔巴岭处理,是不是就没有法律责任呢?当然了,这只不过是假定的事情,对于中日两国政府、对于亲中以及厌中这两派的一切人来说,是个没有趣味的结论吧!但是作为历史研究者来说(也许不谨慎),却是一个倍感兴趣的论点。

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  10. 中国山西大同?尚士(土八路)

    “···ところが、戦後の国共内戦で化学兵器が使用されたとの話は、寡聞にして筆者は聞いたことがない。”
    据日本老兵回忆,1946年9月,日阎联军在山西的奇村镇、合索村地区、忻县东方地区与共军作战,使用了旧日军的毒气弹,我将原文摘录如下:
    •••同年九月
    奇村鎮、合索村地区の粛清作戦、忻県東方地区の糧秣の徴収などに参加し根こそぎ徴収、粛清作戦ではこれに参加していた山西軍の兵士が旧日本軍の毒ガスを使用するなど目に余る蛮行を行った。
    出典《終戦後の山西残留――元第一軍特務団実録》第63ページ

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  11. yama

    陳先生
    ご指摘いただきありがとうございます。
    該当の文章は、独立混成第三旅団の残留将兵のものですね。残留日本軍がガスを中共軍(人民解放軍)に対して使用したという山西残留者の回想はありましたが、国民党軍がガスを使用したという回想は、日本ではおそらくご指摘のものだけかと思います。山西省の終戦処理は他と違いますので、全体の論旨としては変更ありませんが、参考になります。

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  12. Nao

    こんにちは。
    遺棄化学兵器の件の御紹介と御検証ありがとうございます。
    違った視点からの他の方のご意見、とても参考になります。

    私が昭和40年代後半に、大陸中華の大日本帝国軍の事を知る方から伺ったお話では、「赤・黄・白」などは発煙筒などに使われていたとの話は聞いた事が有ります。うろ覚えですけれど、赤弾・黄弾などと言っていた様な気がします。

    別の機会に、別の方からやはり昭和40年代に伺ったお話では、「細菌戦と化学薬品戦は、(第二次世界大)戦後、日本軍が退いてから、中華軍同士で戦った時に使われたんだ」との事。日本では、第二次大戦後の中華内戦については情報が隠されていて若い世代には全く知られていないに近いですけれど、かなり激しい戦いだったそうです。共産勢力はソ連などから、国民党勢力は米系勢力からそれぞれ補填が有り、「中華軍・ソ連軍の化学爆弾が多い」のは事実だと思われ、その流れが、その後の「米ソ冷戦」へとつながって行ったと思われます。

    第一次世界大戦で化学爆弾が使われてから、各国では化学薬品戦や細菌戦に備えた研究が為されました。
    大日本帝国軍の場合、石井四郎の一行が欧州に視察勉強に行き、帰国後、当時の大蔵大臣だったかの高橋是清の所に「細菌が入った(事になっている)フラスコ」を持参し、「予算を出さないのだったら、今すぐ、これを撒きますよ?」と脅して無事に予算を勝ち取り、「防疫研究所設置」に成功しました。
    そこでの戦術の研究の結果、出た結論は、「細菌戦・化学薬品戦は、実戦には向かない」との検証結果です。つまり、実戦で使おうとした場合、問題点が多すぎたのです。

    細菌や化学薬品の被害の伝播は、「人が動き廻り・風が吹き・水が流れ・物が流通し・獣がうろついている状況」では、到底、管理しきれるものではないからです。

    全く関係無く関連者も全く居ない場所に投下してトンズラし、其れ以後絶対に其處には行かないのでしたら或は使えるかもしれません。

    しかし、当時の大陸中華では、中華人は内乱で逃げ回り活動で移動し捲っていて、大日本帝国人が大勢出掛けていて、軍関連者も大勢居ました。感染したとしてその人がどこに移動するか知れたものではありませんし、自国民への被害も防ぎようが有りません。

    確か、「旅団」というのはコミンテルン系の団の呼称で、大日本帝国軍ではないと思われますがどうでしたか…。

    山西省の水が少ない地域に行っていた部隊の所には、防疫給水部隊が本来の役割の一つである「安全な水の給水」に回っていて、軍への支給ついでに現地の中華人にも水を配って喜ばれていたとか。現地の方達に御世話にならないと其処には居られないので、基本的に現地の方々の役に立てる事をやってあげたりしていて、医療団や給水部隊などは戦闘で気が立っている人もいなくて優しいので特に喜ばれていたとか。そういったエピソードもあります。

    やはり大陸中華での戦時中の事を知る方が、「(大陸中華での戦死者を)火葬して居たら、中国人が大勢集まって来て、大騒ぎなった」と話して下さいました。大陸中華では最近まで殆どが土葬ですし、一度埋葬した人でも掘り出して処刑する事もあるそうなので、もしかしたら処刑しているのではと思ったのかもしれませんね。

    現実に、医療方面では医薬品が不足し、戦地では麻酔薬なしでの手術もあり、縛り付けて固定したり殴って気絶させたりして手術した事も有ったそうです。気丈な人の中には、医薬が不足しているのを知っていて、「そのまま遣ってくれ」と言って麻酔無しでじっとして耐えていた忍耐強い人も居たと感慨に深気な従軍医さんも居ました。
    戦地は剥き出しの現実が有ります。

    本題に戻りますと、
    ・攻撃などによる破損での、自軍の被弾の可能性。
    ・散布後、管理できない事。
    (単純例で言いますと、投擲したガスを、風向きが自軍に向いてしまい、自軍が被ってしまう可能性も有ります)

    日本国内では、国民が使用する家庭用(主に調理用)ガスが不足し、議会で補給についての話し合いが為されていました。戦闘機などの燃料が不足し、ブタンガスかメタンガスなどのガス燃料開発が行われていました。台湾では、製糖会社の中で「アルコール燃料開発」が為されていましたが、工場労働者たちの一部が「飲料アルコール」にして飲んでしまっていた事も…。

    どうも大日本帝国当時の「瓦斯」というと、
    ・燃料ガス
    ・風船爆弾用水素(空気より軽いので飛ばすのに使った)ガス
    (爆破はしない。なるべく戦闘を回避しようと、その内容を書いた手紙を読んで貰うのが目的で、手紙を風船に付けて風に乗せて飛ばしました。1937年の南京戦でも、攻撃を掛ける前に「重要任務」として戦闘機を飛ばし「ビラ」を事前に撒いたそうです。)
    ・殺菌消毒用のガス
    などが思い浮かびます。

    当時の先輩方の御話を羅列して、とりとめがない内容となってしまい、すみません。
    私が聞いた範囲では此の様なお話です。
    ABCDラインも重なって、化学薬品製造する為の原料が欠乏していた状態で、中華で日本に遺棄兵器として処理させる程の量の化学爆弾が有ったとは、現実問題として、私には存在し難い事なのではとも思われるのです。
    長文失礼しました。

    Reply
    1. yama

      Naoさま
      この正論の遺棄科学兵器に関する件は第一報ですので、下記のまとめをご覧ください。
      http://shanxi.nekoyamada.com/?p=121
      中国大陸での化学兵器の使用については下記に書いています。大本営からの文書による使用指示が残っていますので、中国大陸での(致死性)化学兵器使用は間違いありません。
      http://shanxi.nekoyamada.com/?p=63
      石井四郎が高橋是清に恫喝云々というのは馬鹿げた話です。実際にあったとすると、陸軍刑法にある用兵器党与上官暴行脅迫罪に該当し、最高刑は死刑になります。一官僚(軍人)が大臣に面会するだけでも大事なのに、そのようなことが為し得たか、これまでのご自身の実生活に照らして再考されると良いかと思います。なお、石井は化学戦研究には携わっていません。
      また「旅団」がコミンテル系云々も間違いです。
      民生用ガスは化学兵器とは全く関係ありませんが、少し申し上げますと、一時は石炭ガスの利用が柱とされましたが種々の事情でかなわず、終戦まで薪炭に依存せざるを得ず、薪炭も労働力不足で供給が先細りになっていきました。

      Reply

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