化学戦

書評:吉見義明『毒ガス戦と日本軍』

本書は、タイトルにあえて「毒ガス」というインパクトのある言葉を付けているように、日本軍が実際に戦場で化学兵器を使用した”不祥事”としての史実を解明することに大きな比重を置いている。違法な人体実験や住民被害に言及する一方で、中国側の化学戦備については、本ホームページで紹介している程度すら論じられていない(拙稿「日華事変における化学戦」を参照)。左翼学者ゆえの筆の運び方だが、それでも化学戦に関する主要な論点はほぼ網羅しており、運用面(防御教育など)に対する著者の知識不足から若干の隙はあるものの、論考も概して精緻だ。日本軍の化学戦に関する概説書として、信頼に足るものと評することができる。

毒ガス戦と日本軍

毒ガス戦と日本軍


日本軍が化学兵器を本格運用したのは中国大陸だけだから、本書もその文量の多くを日華事変における化学戦について割いている。中国大陸における日本軍の化学兵器の使用については、やはり致死性ガスの使用が争点で、それに関する著者の主張を正面から批判したものは、元防衛研究所の永江太郎氏の論文がある。両者の主張の適否については、「日華事変における化学戦」でふれた。補足するならば、永江氏は論考を「支那事変初期」に限定しており、昭和14年以降について論じないというスタンスをとっている。ゆえに、昭和15年7月に在支全軍に対して明確に化学兵器の使用許可を下した大陸指第699号については、論考の対象となっていない。中国大陸における化学兵器の使用については、それ以前の”実験使用”と”本使用”との関係性から論じるべきだから、吉見説に対する批判の方法としてはフェアではない。

一方、本書で著者は、日中間で懸案となっている遺棄化学兵器の処理について、満州において実質的には日本軍の化学兵器がソ連軍に接収されたことを強く推測させる回想を提示している。それならば、日本に全責任があるとする中国側の主張を無批判に紹介するだけでは不十分だ。ソ連軍による接収により、遺棄化学兵器の処理責任が、ソ連の後身であるロシアに生じ得る、という点を示すべきだった。左翼本の限界である。

初出:http://shanxi.nekoyamada.com/archives/000505.html