四方山話

ひとだまの話

実家の並びに、Yさんという大工の棟梁が住んでいた。生まれも育ちも完全な江戸っ子だった。私自身、東京生まれの東京育ちだが、実際に「べらんめえ」と言う人は、考えてみればYさんしか会ったことがない。棟梁のカシラで、皆に「親分」「大将」と呼ばれていた。もちろん、性格は頑固というか気が荒く、私が小学生の頃は、いつもYさんの家の前をおっかなびっくり通っていたことを今も思い出す。

たしか私が中学生だか高校生の時分、過剰にYさんを恐れることもなくなった年頃のことだ。学校帰りに祖母と立ち話をしていたYさんに出会った。Yさんも歳をとったのか、珍しく昔話をしていた。なんでも小さい頃から山の手に住むのが夢で、大工のカシラになって夢が叶った云々。祖父の会社が倒産して銀座の一等地から”都落ち”した祖母は、そんなYさんの話を苦笑いしながら聞いていた。

なんとはなしに私も話の輪に入り、自然と戦争の話になった。Yさんは、子供の頃に東京大空襲を経験したそうで、”ひとだま”の話はそのときに出た。

Yさんによれば、”ひとだま”は実在するのだという。Yさんは”ひとだま”を見たというのだ。それは空襲から数日経った日のことだという。身元不明の焼死体が近くの公園に集められ、穴を掘って埋められた。その夜に公園のそばを通りかかったYさんは、公園で青白い炎がいくつも燃えているのを見たのだという。さすがのYさんも、恐ろしくて逃げ帰ったという。

青白い炎の正体は何なのか。怪奇現象である方がどれほど平穏な話だろうか。翌日、日がのぼってから現場を訪れたYさんは、現場で作業をしている人から”ひとだま”の正体を聞いた。それは、焼死体が地中で腐り、そのガスが地表に吹き出て、それに引火したものだというのだ。だから炎は地表附近で青白く燃え上がっていたのだという。
この話が本当かどうかはYさんの性格からしても分からない。終戦記念日を前にした夏の怪談として出来過ぎた話かもしれないが、真偽はどうであれ、これまで私が聞いてきた多くの戦争体験談の中でも、強烈な印象を与えた話だ。

Yさんだが、この話をしてくれた数年後に亡くなった。Yさんが先だったか奥さんが先だったか忘れたが、片方が亡くなって、数ヶ月ほどで後を追うようにぽっくり逝った。おしどり夫婦だった。

補記:
田辺敏雄先生より「空襲による死者の埋葬地(公園や空き地など)で、青白い炎を見たという話は、当時からたくさんありました」とのメールをいただきました(田辺先生は空襲を経験されています)。また、戦後に科学的な検証も行われていた旨もご指摘をいただきました。

文献等で調べたところ、「ひとだま」の正体については、燐やメタンが発火したもの、プラズマによるもの、発光虫の飛行など、諸説にわたるようで確定していません。そもそも「ひとだま」自体の形態や発生状況について差違があることから、様々な要因によってそれぞれ形態の異なる「ひとだま」が生じていると考えられそうです。
本稿における青白い「ひとだま」については、Yさんのお話通り、土葬遺体から発生したメタンガスが空気中に混ざり、発火したものと考えてよさそうです。(2007.8.30)

初出:http://shanxi.nekoyamada.com/archives/000415.html