慰安婦

慰安婦と野暮な男とアジア女性基金による解決

先般、安倍総理は、慰安婦問題について、「軍の関与はあったが強制はなかった」という趣旨の談話をした。これを二枚舌だ何だと批判する向きがあるが的はずれである。そもそも、「軍の関与はあった」と「強制はなかった」は不可分だからだ。「軍の関与はあった(ゆえに)強制は(あり得)なかった」が建前であり、史実もおおむねその通りだった。その点で安倍談話に何ら落ち度はない。

将兵にセックスサービスを提供する慰安所は民間業者の経営だったが、その開設については軍に許認可権があった。一般に日華事変において慰安所は南京戦以降に開設されたと言われているが、華北では早くも事変勃発直後の八月末にチャハル戦線で業者から開設申請があり、これを兵団司令部で審査した旨のメモが史料に残っている。このときは、「娘子軍十七名来張せり。勇敢なり」、しかし「軍医部、憲兵は不開主義」であったという。

開設が許可されれば、将兵にとっては待ちわびたこと、部隊長が工兵に営業小屋の建設を命じることもあったようだ。実際に営業が開始されれば、”適正な運営”を維持するために、軍として様々な便宜を図ることは当然で、軍医による予防医療から物資の融通、輸送手段の提供などに勤めている。政府の調査では「直営」のケースもあったという。この点で、軍の関与があったことは明白である。

上海に開設された慰安所(毎日新聞社,1938年)

上海に開設された慰安所(毎日新聞社,1938年)

ここで注意すべきは、そもそもこのような営外のサービスは慰安所だけではないということだ。将校団が料亭一軒を借り上げて帯同するような下世話な話から、郷土連隊の出征とともに雑貨屋の親父が付いてきて酒保を開設し、内地にいたときと同じように若い将兵に駄菓子を売るなどの微笑ましい話まで幅広くあった。そもそも一個連隊で二千人弱の将兵がおり、それが顧客になるわけだから、様々な業者がぞろぞろと付いて来て不思議はないわけだ。出征兵士の回想録には、大抵、衛外で邦人が経営する食堂の娘に横恋慕した想いが綴られている。

慰安所の話に戻れば、軍は開設許可を出しているだけでなく、実際の営業へも深く関与しているのだから、その度合いによって管理責任が問われることは言うまでもない。そこで、セックスサービスを承諾していない女性に奉仕を強いたか否かが問題となる。この論点については、いわゆる「狭義の強制」と「広義の強制」という概念が使われている。前者は、軍や官憲などが公権力を直接行使して奉仕を強要したケースをいい、後者は、公権力の直接的な強要はないものの、自己の意志に反して承諾を余儀なくされたケースをいう。

官憲による拉致について、実行者の立場から述べた唯一の吉田清治証言は虚言であると証明されている。また、軍や官憲が徴用を命じるなど、強要を示す史料は見つかっていない。このため、国は「狭義の強制」については確認できないというスタンスである。安倍談話も同様であり、河野談話も(若干ニュアンスは違うが)同様と言える。そもそも公権力による売春の強要などは、当時であっても法令上も社会通念上も許されるものではなかった。

この点、東京裁判で証拠採用されたり、BC級戦犯裁判で強制を認めたケースがあるという主張があるが、それらは本論にいう慰安所とは別の不法な「私設慰安所」、すなわち、戦地犯罪(婦女暴行・誘拐監禁)と解すべきだろう。オランダ人女性が被害を受けた有名なスマラン事件でも、軍は二ヶ月で閉鎖を命じているように、売春の強要は許されるものではなかった。もちろん、スマラン事件のように軍人という公務員が犯罪に関与している以上、日本国としての責任は免れ得ない。それに、大多数の正規の慰安所の存在が不法な「私設慰安所」の開設、すなわち犯罪を助長したのではないかという議論や、同じ臣民である朝鮮人と敵性国人に対する扱いの違いという点での議論はなされてよい。東京裁判で証拠採用された事件は、全て外地における敵性国人に対して行われている。しかし、正確な史実を求める観点からは、慰安婦の呼称は安易に用いるべきでなく、あくまで正規の慰安所で雇用されていた酌婦、娼婦に限定すべきである。正規の慰安所と戦地犯罪の両者を混同するから、”数十万人もの慰安婦が強制連行された”云々とおかしな議論となるのである。そもそも慰安婦(酌婦、娼婦)が社会通念上は下賎な仕事と見られている以上、性犯罪の被害者を慰安婦と呼称するのは失礼ではないか。両者の混同は、慰安婦問題を政治的に利用しようとする輩が、虚像を増幅する印象操作に利用しているフシがある。

河南省の「慰安所」とその前を人力車で通る軍人。セックスサービスを提供する店は、一般にカフェーやら料亭やら一見して分かる名称だった。(毎日新聞社,1938年)

河南省の「慰安所」とその前を人力車で通る軍人。セックスサービスを提供する店は、一般にカフェーやら料亭やら一見して分かる名称だった。(毎日新聞社,1938年)

「広義の強制」については、物理的な強要はなかったものの、自己の置かれた状況からその意志に反して承諾を余儀なくされたケースである。不良業者に騙されて連れて来られたり、親に売り飛ばされて、現地についたら奉仕を要求され、辺鄙な場所で帰るに帰れず、逃げるに逃げられず、どうにもならずに承諾せざるを得なかったというようなケースである。慰安所を必要とする軍が不良業者と結託して云々というのはあり得ると思われがちだが、しかし、軍が関与している以上、やはり野放しということはない。軍にとって慰安所とは、将兵が頻繁に利用する施設として軍紀上も揺るがせにはできない存在であるから、仮に女性を強引に慰安婦にするような非道があれば、それは軍法により処断し、不良業者を排除しなくてはならない。民営だから勝手処置ナシなどということはない。例えば、山西省路安に駐留していた湯浅軍医は、騙されて連れて来られたと朝鮮人女性たちが集団で憲兵隊に訴えたというエピソードを紹介している。この時は、話し合いで年端のいかない者に一年の猶予を与えるなどの条件で解決したという。このケースは、慰安婦問題の最大の争点について示唆する格好の材料である。すなわち、このようなケースを「広義の強制」に含めるか否かが問題なのだが、現実には詐欺被害を訴えても多くは事件化することなく現地で”円満解決”が図られているから、第三者には判断が難しい。

この点、少なくない将兵が、慰安所の朝鮮人女性から「師範学校出の元女教師」だとか「騙された(=自分は素人である)」等と聞いたと回想している。多くは行為中に聞いており、これをどう解すべきか。確かに詐欺の被害に遭った人もいただろうが、一方でこの種のサービスに従事する女性特有の営業トークが過分に含まれているとも解するべきだろう。騙されて連れて来られた女性の全てが唯々諾々と売春を承諾すると考えるのは不自然である。「気の毒に思って金だけ置いてきた」という将兵は人は良いが野暮だったのかもしれないわけだ。同様に、内地から戦地を訪問した婦人会(出征兵士の妻)が奉仕を余儀なくされたという非道い話もある。話の出所は元中共戦犯らしいが、常識的に考えて欲しい。下手な作り話である。男ばかりの軍隊では、この種の情欲に訴える猥談が必要とされ、虚実入り乱れて楽しまれていた。作戦討伐から帰った部隊を、和服に白いエプロンで肩には「大日本国防婦人会」の襷をかけた(コスプレの)朝鮮人慰安婦が城門外まで迎えてくれたとは、山西省河津で隊付をしていた江頭軍医の回想だ。ちなみに戦場では猥談だけでなくグッズも出回っていた。日本兵が中国婦人を「性奴隷」として辱める怪しげな写真を中国商人が売り歩いていたとは、華北に出征した刀剣家の成瀬関次が噴飯気味に回想しているエピソードである。

正規の慰安所で、詐欺により半ば諦めで奉仕を承諾した女性のケースを考えてみよう。これを「自由意志」とすることは、法的にはグレーでも道義的には不当極まりない。ところが、承諾しての応募と詐欺被害、さらに現地での軍の圧力の有無については第三者は判断できず、その線引きは本人の証言による他ない。元慰安婦への補償、すなわち、日本政府として責任を認めるということを、玉虫色と批判されるアジア女性基金で解決を図った、その事実こそが当時の実態を如実に示している。

補記:
慰安婦に関する最も信頼に足る研究は、秦郁彦『慰安婦と戦場の性』(新潮社,1999年)である。史実だけでなく、慰安婦問題が政治化された経緯についても詳しい。また、公文書や関係者への聞き取り調査など、慰安婦に関する資料については、『政府調査「従軍慰安婦」関係資料集成』(国会図書館WARP所収)が適当である。関心のある方は参照されたい。

初出:http://shanxi.nekoyamada.com/archives/000399.html