李さんがガスを受けた際の症状は、眼の激痛と流涙であったという。日本軍が1931年(昭和6年)に制式採用した催涙ガスは臭化ベンジル系の「みどり1号」と、クロールアセトフェノン系の「みどり2号」だ。緑剤は次のような特性を持つ。
特性 気体及微粒子トシテ作用ス 濃度著シク小ナル場合ニ於テモ即効的ニ戦闘ヲ困難或不能ナラシム 然レ共致死的効力ナク且恢復迅速ナリ
毒性 主トシテ眼ヲ刺戟シ疼痛流涙、羞明等ヲ生シ一時的ニ殆ト失明状態ナラシム 濃度著シク大ナル時ハ肺其他ニ傷害ヲ正起スルコトアリ (出典:陸軍習志野学校「演習用化学戦数量表」1939年) |
当時第一軍参謀長の任にあった橋本群中将は、のちに参謀本部の戦史編纂のための竹田宮恒徳親王大尉によるヒアリングにおいて、ガス使用について次のように述べている。
山西の山の中で匪賊をやつつける時に山地帯でどうにも作戦が思ふやうに行きませんので一部に許してやりましたこともあります。......相手によっては......必ずしも之れを使ふのに遠慮する必要はないと思います
(出典:参謀本部編「橋本群中将回想応答録」みすず『現代史資料(9)』所収) |
防護装備不完全なる敵に対しては、縦い戦闘の経過中、特種煙の少量を使用するときに於いても敵、就中其の後方部隊に精神的効果(恐怖心)を及ぼし退却の動機を作為し、以て寡兵克く堅固なる陣地に拠る衆敵を突破し得ることあり
(出典:教育総監部「事変ノ教訓 第五号 化学戦ノ部」1938年) |
「吉県作戦」は閻錫山の帰順工作進展のための陽動作戦であり、蒲県、隰県、吉県附近の閻錫山の根拠地壊滅を目的に、1938年(昭和13年)12月17日より翌年1月10日まで、第一軍により実施された掃討作戦だ。参加兵団は第二十師団と第百八師団。このうち、李さんが経験した黒龍関の戦闘は、1月5日~7日の間に第百八師団の佐伯支隊の高木隊と遭遇した時に発生したものだ。
この作戦では、当初よりガス使用を念頭に置いた準備、訓練が行われていた。11月28日付の第一軍の作戦命令「一軍作命甲第三六三号」では作戦でのガス使用を命じた上で、そのための教育訓練を行うため、将校と下士官2名の要員を第百八師団に派遣している。この"特種烟"を使用するための教育及び指導は、以下のように12月1日から10日まで行われている。
S作戦ニ方リ108Dハ特種烟ヲ使用スヘキヲ以テ 之カ教育及指導ノ為 教官ヲ派遣ス
一軍作命甲第三六三号 第一軍命令 十一月二十八日十五時 於 石家荘軍司令部 特種資材ニ関スル教育及指導ノ為 坂井歩兵大尉並柴田軍曹ヲ 十二月一日以降一時第百八師団ニ配属ス (出典:「第一軍機密作戦日誌 巻二十六」1938年) 108D参電第一九二四号(一軍作命甲第三六七号 十二月十日) 坂井歩兵大尉ノ108D配属解除命令下達 瓦斯ニ関スル教育終了シタル為ナリ (出典:第一軍参謀部「第一軍機密作戦日誌 巻二十七」1938年) |
佐伯支隊ハ...十日襄陵平地ヲ掃蕩シツツ臨汾ニ帰還集結ス 此間黒龍関原上附近南窰村牛王廟附近ニ於テ夫々相当有力ナル残存匪団ト交戦シ克ク之ノ敵ヲ掃蕩ス
(出典:第一軍参謀部「第一軍作戦経過ノ概要 第十三章 南部山西軍掃蕩戦」1939年) |

