[ コラム こぼれ話 ]

党籍証明の有無が分けたその後の人生

戦争体験談で紹介している李樹徳さんは、戦前の早い時期から中共に入党し、山西軍・親日政府軍内で中共の浸透に務めた党に功績のある者のはずだった。しかし戦後、彼の働きは忘れ去られた。彼は戦後の長い間、閻軍・偽軍(親日政府軍)に身をゆだねた者として、西安のとある工場の一工員に甘んじた。彼の名誉回復がなされたのは1987年だ。


李樹徳氏(1997年)


当時、中共への入党手続き、特に国民党軍や親日政府軍内部での入党に際しては、党員と入党希望者との一対一の相対で行われ、正式な文書などによるやりとりは一切なかったという。これは証拠を残さず、縦の関係のみを構築することで情報漏洩に備えるためだった。そのため、例え同じ職場でも党員同士としての面識はないことが多かったようだ。これは中共が非合法とされた時代から、日華事変後に第二次国共合作が成立した後も変わらなかった。

このため、党員の身分は自分を中共に引き入れた人や、何らかの形で党員として共に活動した仲間のみが証明できることになる。身分証明できる人が全て亡くなってしまうと、自分の党籍を証明することは極めて難しくなる。李さんの場合は、第二次大戦と国共内戦で身分証明できる人は亡くなってしまい、新中国成立後に党籍を主張したものの一顧だにされなかった。戦前に共に戦った戦友が党や政府の重要ポストに就いて社会的に恵まれた地位にあったのに、彼は長年、工員としての人生を送り、経済的に苦しい生活を余儀なくされた。

彼の戦前の功績が認められたのは、文革の混乱が収まり、党主導ではあるが、ようやく過去の歴史を掘り返す作業が始まった1980年代半ばになってからだ。第一軍の捕虜収容所である「工程隊」内部における地下活動の実態が明らかになってくる過程で、そこでの中心人物のひとりが彼であることが判明した。すでに齢七十歳を迎えた1987年、ようやく名誉は回復された。人知れず不遇の人生を送って亡くなっていった人に比べれば、生きているうちに名誉回復がなされた彼は幸運なほうだろう。名誉回復から十年たった1997年末、老衰で亡くなった。八十歳だった。中国では長生きだ。


新しい支配層として日本人がやってきたとき、生きるために、より良い生活を得るために日本語を一生懸命勉強した人たちは、その後の人生を完全に破壊されてしまった。
# yama : 2005年2月19日
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