戸籍謄本には、「昭和13年10月23日山西省霍懸源頭林付近で戦死 K部隊長報告」となっており、写真に写っている墓標には「山西省霍懸源北門外」とあった。二十八才で亡くなったというN叔父は、屯田兵で入植した家庭に生まれた道産子。招集前には裁判所の書記官を務めていたという。応召されて現地に赴任し、到着してそれほど日も経たないですぐ亡くなられたらしい。しかし当時を知る人は亡くなり、所属部隊についても不明。本籍地や道庁で軍歴照会をしても何も判明しなかったという。

華北戦線の機関銃隊 (朝日新聞社,1937年)
昭和13年末はちょうど日本軍が山西省全域を制圧しようと作戦を展開していた時期で、中国軍の抵抗が激しかった時期だ。「霍懸」は山西省の中南部に位置する現在の霍州市で、第百八師団の警備担当地域に含まれる。霍県には部隊が駐屯していた。戦死場所である「源頭林」は、霍州市の東約十二キロに位置する「源頭村」の間違いだろう。おそらくN叔父は部隊の討伐作戦に出動し、源頭村で戦死され、県城まで搬送されて「源北門外」に埋葬された。
気になるのは現地埋葬だ。当時は野犬が多いから土葬は安心できない。それに通常は慰霊を行い、火葬して骨壺におさめ、部隊で任命した搬送員に公用任務として内地に送り届けさせるのが通例だ。先に火葬して墓標を建て、後で内地に帰還させたのかもしれない。「源北門外」は県城の外にある駐屯地の場所で、墓標はその内に建てられたはずだ。
残る疑問が所属部隊だ。第百八師団は東北を師管区とする特設師団で、北海道に戸籍を持つN叔父が応召される筋合いはない。北海道は第七師団が原隊のはずで、日華事変のとき師団は満州に派遣されていた。事変勃発で師団から部隊が抽出されているが、その中で独立機関銃大隊をいくつか編成し華北戦線に送っている。調べてみると、第五大隊が第百八師団に配属されていた。N叔父はこの部隊だろう。大隊本部は師団司令部と同じ臨汾にあるが、霍県にN叔父のいた中隊が派遣されていたのだろう。重機隊は敵に狙われることが多い。 N叔父が亡くなる四カ月前、大隊は方面軍を通して兵100名の人員補充を中央に要請している記録が残っている。 N叔父はこのときに招集されたのかもしれない。
第七師団史料館は陸自の新千歳駐屯地にあるが、Nさんには勘違いをして旭川駐屯地に問い合わせするように勧めた。その後Nさんから連絡があり、幸運にも旭川に資料があり、N叔父が第五大隊にいたことが分かったという。Nさんは現地に行って供養したいという。遠い異国の地で亡くなったN叔父も喜ばれることだろう。

