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コラム
こぼれ話
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日本語通訳を襲った悲劇
日本軍の占領下で、親日政府の治世の下で、生きるため、より良い生活を得るために、日本語を一生懸命勉強した人がいる。しかし彼らは日本人が去っていくと同時に、その後の人生を完全に破壊された。最初は民族の裏切者として、次は「反動的」思想者として。中共によって糾弾され、投獄され、労働改造という名の強制収容所に送られ、亡くなっていった。良心を殺して服従し、最初の嵐をなんとか乗り切った人も、その後も数回にわたって同じように繰り返される嵐を乗り越えなくてはいけなかった。
同じ日本語通訳でも、就職した職場の違いによってその嵐の強弱も違ったようだ。最も悲惨なのが日本軍や中国人警備隊で働いていた軍属だ。日本軍の手先となって民衆を虐殺したとでっち上げられ、鬼畜扱いされた彼らへの迫害はすさまじいものがあった。かつて少年通訳として日本軍と一緒に行動していたという老人は、けっして当時の話をしようとしない。齢八十歳近くなった今でも怯えているのだ。改革開放が叫ばれ、虹色の社会へ向かっていると世間は騒いでも、彼らの心は動かない。油断して口を開けば、また手痛いしっぺ返しが来るのだと身体が憶えているからだ。そんな彼らが何気ない会話の中で、当時の日本人との思い出を、控えめだが楽しそうに触れたとき、私の心は大きく揺さぶられた。 戦争体験談で紹介している李献瑞さんも文革の際に「労改」に送られている。しかし彼の場合は、日本語通訳として糾弾されたなかでも最も幸運な部類に入る。そんな彼が、齢六十歳の老齢なのに所属する単位(ダンウェイ)の日中交流団の代表として訪日したのは、そんな日本語通訳に対する迫害が背景にある。 終戦から数十年間、中共治世下の混乱のなかで満足な学校教育もできなかった中国では、日本語の通訳も戦前に習った人に頼るほかはない。大学の外国語学部での日本語教授も、老人に頼らなければやっていけなかった。そして中国では党員等級が厳格に定められており、外国人と交渉ができる党員等級を持つ人で日本語教育を受けた人は数少ない。ほとんどの親日人士は入党が認められなかったばかりか、労改に送られて命を落としたからだ。さらに単位の間で職員の交流はほとんどない。李さんが務める体育の世界では日本語を正確に通訳できるのは李さんだけしかおらず、ゆえに老齢の李さんを日本に派遣したわけだ。 # yama : 2005年2月19日
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