私の手元に4枚のセピア色の写真がある。戦時中に内モンゴル(内蒙)で撮影されたらしいその写真は気味の悪いものだ。その写真は広漠たる草原を背景に、処刑されたのか、首を斬られた数人の人頭が丸太の支柱や電信柱に吊された風景が写っている。
この写真は、かつて内蒙で設立された電話会社、蒙彊電気通信設備株式会社の職員として赴任していたBさんの遺品のなかにあった。ご遺族によれば、写真は小箱の底に封筒に収められて隠すようにあったという。Bさんは戦争中の写真をほとんど処分していたのに、この気味の悪い写真だけは家族に内緒で保管していたようだ。ご遺族は気味悪いが捨てるに捨てられず、誰かに預かってほしいとのことで、人づてに私の手元にやってきたというわけだ。写真と一緒に任免状や貯金証書などもまとめて送られてきた。他人の書類を送られても困るし、遺品として大事にとっておいてはいかがですか、と勧めた。しかし気味の悪い写真の登場で、ご遺族にとっては戦争に関係するもの全てが"忌まわしい"ものになってしまったようだ。仕方なく、今でもまとめて私の手元にある。

写真の裏には、「○○県△△鎮」という地名と「電柱ニブラサゲタサラシ首」の記載があるが、いつ撮影されたものなのかわからない。当時はこのような気味の悪い写真が記念写真として売られていた。しかし、この写真は4枚全ての裏に手書きで前述の記載があった。購入したものではなく、本人が撮影したかプライベートで入手したもののようだ。
4枚のうち3枚は西門外で撮影されたもので、三本の丸太で支柱を組んだ上に人頭が吊されている。もう1枚は同じ町の南門外で撮影されたもので、そちらは電信柱に人頭が吊されているものだ。吊された彼ら(彼女ら?)が何者かはわからないし、どんな理由で、だれによって首を切られたのかももちろんわからない。内蒙軍が見せしめに"サラシ首"にした可能性もあるかもしれない。ただ、西門外の方の写真では、人頭が吊された「下ハ日本人ノ戦闘記念ヒ」らしい。"碑"と言うほどのものではないが、墓標のようなものは建っている。また南門外の方は電信柱に人頭を吊しているが、電信電話は蒙彊政府が国営事業として力を入れていたから、反蒙・抗日ゲリラによる嫌がらせの気もする。ともあれ、赴任したBさんにとって、町中に「サラシ首」があるような野蛮な地に来たことはショックだったようだ。

