戦争は悲惨だ。特に非武装の一般市民の犠牲は痛ましい。中国戦線では多くの一般市民が犠牲になったと言われる。元日本兵でも殺人や暴行を行ったという加害体験を告白する人がいる。その多くは中国で戦犯として獄につながれていた人たちだ。彼らの告白について、中共による洗脳を指摘する人がいる。実際に全くの出鱈目であるとされる話もあるが、見方や脚色の度合いによるが行為自体は近いものが実際にあったかもしれない。ただ、あまりにも非道で酷い告白に(その描写はのぞき見趣味的である)嫌悪感を抱くだけでなく、違和感も覚える人は多い。彼らの告白は、自分たちの体験をもとに、当時戦地にいた日本人全てが大なり小なり似たようなことをやってきた(容認してきた)と主張しているからだ。私たちの父や祖父の穏和な顔の下に、殺人鬼や婦女暴行魔としての別の顔があったとは信じがたい。
よく戦争は人を狂わすという。ある意味で正しいが、それを前提に戦地にいる日本人全員が非道に変わり得るという考えは危険だ。市民生活としての感覚は今も昔もかわるところはない。軍隊も社会の縮図だ。招集された一兵卒でも、昨日まで大学教授をしていた人もいれば、商店主やサラリーマンもいたし、ヤクザ者もいた。軍隊もいわば公務員の集まりだ。規律で縛られていた。銃砲による暴力が身近にあったと言っても、それは"正義な暴力"であって無法が許されていたわけではない。
現代でも凄惨な事件を起こして社会を震撼させる者がいるが、問題はそのような犯罪嗜好的な人間が当時もいて、軍隊に入り、戦地に送られたことだ。戦地では憲兵が秩序維持にあたっていたが、憲兵の目をかすめて犯罪に手を染めることは、城市では難しいが郊外の作戦地であれば難しいことではない。「老百姓」の被害を見て胸が痛むと多くの日本兵が書き残しているように、やれるならば皆やるのが人間だとはあまりにも乱暴な考えだ。巷に溢れる"加害体験談"が本当ならば、彼らこそ犯罪嗜好的な人間だったのではないか。モラルが低い人は環境に流される人が多い。「戦争だったから仕方がない」が、中国から帰国すると「侵略戦争」「天皇制軍国主義」に置き換わるように、全て環境に理由(責任)を求めているのも自然なのかもしれない。
一方であまり知られてない(あえて言われない)ことだが、中国で戦争体験談を聞こうとすると一種の壁にぶつかる。中国政府の主張では、日中間の八年間にわたる戦争で3000万人もの大量の犠牲者が出ているという。どんな人に聞いても"ひどい戦争被害体験"が聞けるはずだがそうでもない。噂話が多く、実際に非道な被害を受けた人を探すことが難しい。中国政府の主張に比べて体験者が絶対的に少ないのだ。そして被害体験の多くは中共ゲリラとして活動していた、いわば便衣兵として攻撃を受けても文句を言えない人たちが多いのだ。実際このホームページの戦争体験談も、凄惨な話題の多くがゲリラ討伐に関連するものだ。日本の「戦争責任」を声高に叫ぶ人の中には、現地に赴いて聞き取りを行っている人もいる。本当に私と同じ事をしたのなら、彼らも同じ事を感じているはずだ。誤解を恐れずに言えば、中国の一般市民にとって日中間の戦争は内戦続きの中国にとって特別に深刻なことではなかった。内戦による被害の方が大きかった場合もあるだろう。兵隊による犯罪も、日本兵ではなく中国兵(敗残兵)による方が深刻だったのではないか。中国軍が撤退した後にやってきた日本兵に、頼まれもしないのに自分からズボンを脱ぐ女性がいたとは、南京戦に参加した兵の証言だ。
華北戦線について言えば、作戦地は郊外の農村だ。中国の農村は日本人が想像できないくらい貧しい生活で、現代でも100年前と変わらないと言われるほどだ。当時は石器時代という言葉は大げさでも、中世の数百年前と同じ生活をしていたと言っても大げさではない。彼らには失礼だが当時の農村(現代でも貧しい農村)には清潔感の欠片もなかった。多くの日本兵は彼らを「土人」と表現している。その一方で多くの日本兵が日記に「今日は身なりがきれいで色白の女性を見かけた」と書き記している。誤解を恐れずに言えば、日本兵にとって農村は略奪の対象でなく、性の対象となり得る女性は少なかった。だから"身なりがきれいで色白の女性"は、日本と朝鮮の女性が「従軍慰安婦」の名で辺境の駐屯地にまで用意されたのだ。日本兵(邦人男性)だけが性的に特別にモラルが低いとか偏執的だとかいう主張には同意できない。ただ慰安制度の実際の運用面では詐欺的手法で募集した例などがあったようで、その是非等を問うことはできるかもしれない。しかしそれはまたこの議論とは別問題だし、女工の待遇や社会弱者の扱いといった戦前にあった他の問題と同一の視点で議論されるべきだ。慰安婦問題は政争の具として真実がゆがめられている。
私が中国にいて戦争体験談を聞き回っていたときには、中共の「正統な歴史」から逸脱する内容での事実、実態、実風景を口にできる人はほとんどいなかった。わずかに答えてくれた人は、中共から心の距離を置いた人で、かつ安全(身分)が保障されている人たちだった。大多数の人は言いたくても言えないのだ。それが独裁国家に生きる人たちの苦しみで、言論の自由が空気のように感じる私たちには想像できない世界なのだ。そして当時を知りつつ口をつぐんでいた老人達が老衰で徐々に亡くなっていくと、残るのは愛国教育で虚構の歴史を植え付けられた戦後世代だ。先に小泉総理はインドネシアで「村山談話」に準じた形でスピーチを行った。日本政府としてアジア各国への"甚大な"戦争被害に対して謝罪するという姿勢だ。そして政府は中韓両国に歴史の共同研究を提案している。相変わらず日本は生真面目だ。両国は単なる面当てだとしか感じないだろう。

