[ 写真 ]

馬とタンク


華北戦線,1937年

写真右手に写っている兵士が両手に提げているのは飼葉桶だろうか。屋敷の前に繋がれている馬の横で珍しそうに豆タンクを眺めている姿がおかしい。馬とタンクの対比が秀逸な写真だ。
車体の形状から九四式軽装甲車だと分かる。二人乗りで軽量(横転しても人力でひっくり返せた)、機銃一丁の軽武装である九四式軽装甲車は、戦場において専用のトレーラーを曳いて弾薬補給を行うことを目的として装備された。しかし実際には、戦車隊を持たない歩兵部隊において、威力偵察や敵機関銃の潰滅など豆タンクとして重宝された。ただ、そのような活躍が出来たのも、敵の対戦車火力が非力な中国戦線とマレー戦線ぐらいだった。
日本陸軍の機械化は、大正時代の宇垣軍縮に始まる。挽馬のかわりにトラック、騎馬のかわりにタンクの装備がすすめられた。日本陸軍において馬への依存は終戦まで続いたが、それはドイツやイギリス、ソ連も同じだった。第二次大戦で完全に機械化を達成し得たのは米軍だけだった。


華北戦線,1937年 小川で馬に水を飲ませる日本兵。背負った小銃が短銃身・折畳式スパイクバヨネットの四四式騎銃だから騎兵と分かる。 小銃の性能向上と機関銃の登...
1937年(昭和12年)、太原攻略に向かう戦車と自動貨車の一群。検閲で戦車の砲身は消され、鉄扉に修正されている。 チャハル作戦とそれに続く太原攻略戦には、関東...
日華事変の勃発で満州から山西に派遣された独立混成第一旅団(酒井旅団)は国軍初の機械化部隊だった。中国戦線に派兵された日本戦車隊は総じて「鉄牛奮戦」と賞賛されている。ところが山西の地では、賞賛どころか現地で悪評が噴出したという。戦車の用兵を誤ったからだ。
中学生の頃、京都嵐山にあった軍事博物館を参観したことがある。柳の葉がそよ風に揺れる風流な初夏の町並みのなかに、その博物館は高い木々に囲まれてひっそりとあった。古...
# yama : 2006年8月15日
リンク このサイトについて 更新履歴 ご意見・ご感想をお寄せください