陥落時、孫楚や王靖国をはじめとする守備軍司令部は公署地下室で、今村方策ら残留日本人部隊は総隊司令部(旧軍司令部)で、それぞれ中共軍に投降した。ところが、彼ら軍人組の投降に対し、公署地下室など市内数カ所で、多数の政府関係者が自決するという近代中国で前代未聞の出来事が起きた。「太原五百完人」である。
自決したのは、省政府代理主席兼特種警憲指揮処長である梁敦厚(化之)、梁の妻で閻の親族である閻慧卿をはじめとする政府関係者である。梁と閻は服毒自決し、衛兵の手で遺体にガソリンで火を付けられ、敵手に陥るのを防いだと言われる。また、特警処では中級以上の幹部に金塊を支給、各人に一度帰宅を許した後に再集合し、互いに銃を撃ち合って自決に及んだという。公署以外の城内各地でも特警関係者を中心に自決者が続出した。自決者の中には、本人のみならず家族も共に自決した例があり、その中には中国人の警察署長と結婚した日本人妻もいたという。国民政府によれば、自決を含め、陥落に際して投降せずに殉死した者の数は五百六人にも及ぶ。
国民政府は、太原での殉死者を慰霊する「太原五百完人成仁招魂塚」の建設を議決、台湾に逃避した閻錫山は、1950年(昭和25年)8月、三十万台湾元を支出して、戦前に台湾神宮が置かれた台北市北郊の圓山の麓に招魂塚を建立した。招魂塚の壁面には、五百六人全員の氏名・官職・出身地が刻印され、霊廟を設けて祭壇を祀り、死者の霊を慰めた。

台北市に今も残る招魂塚。(台北市,2006年)

招魂塚には梁敦厚を筆頭に五百六人の名が刻まれている。

園内に建立された「五百完人成仁記念碑」。
奥の朱色の建物は祭壇を祀った霊廟。
「太原五百完人」については、中共関係者から異論が出されている。占領直後に中共軍は公署地下室における自決者の報告書を作成しており、1983年にその報告書と台湾で発行された人名録をもとに精査した山西省政協文史委の隆存善は、自決者は四十六人に過ぎず、「太原五百完人」は志気向上のために捏造された"神話"であると断定した。
中共が確認できたとする四十六人はいずれも地下室で集団自決した幹部である。国府は城内における狭義の自決者を三百余人としており、この公式見解を裏付ける日本残留兵の回想もある。中共側は、五百六人の中には架空の人物も含まれるとするが、そもそも党中央委員会や監察院、立法府による審査を経ている以上、架空の死者を計上することはあり得まい。非投降など掃討戦で犠牲になった戦死者を含めて殉死者五百六人とする国府の主張に偽りはなかろう。
殉死者の多くは特警関係者で、彼らは包囲下の太原で苛烈な弾圧取締を行ったとされる。"解放後"の仕返しを恐れたと思われるが、自決者には晋劇役者など純粋な民間人もいる上、職務上の責任から家族をも道連れにする道理はない。やはり、中国人にとって異質の自決の道を選ばせるほど、彼らが閻錫山に心酔していたことは間違いあるまい。閻を階級の敵とする中共にとっては受け入れがたいものであろう。

