本書の魅力は何と言っても多彩な登場人物たちの素顔が垣間見られることだ。松岡洋右、近衛文麿、石原莞爾をはじめとする日本側の要人はもとより、王克敏や汪兆銘、周仏海、陳公博といった中国側要人たちの人物評は、新聞記者上がり特有の好嫌が過ぎる感はあるものの、その点を割り引いても興味深い。論者によってはアヘン巧者とまで酷評する王克敏について、著者は、偏屈で頑固な性格だが、民を憂う想いと冷徹な政略観を持った大人物と評価する。
藍衣社による暗殺テロに遭い中共工作員に救われた話など、冒険小説に遜色ないエピソードがふんだんに盛り込まれているが、共に遭難した海軍武官は戦時中に事故死しており、真実と確認のしようがないのではないか。全体的に脚色の疑念が拭いきれない。また、中共への思い入れが強く、明らかに史実と異なる記述も見受けられる。回顧録は概して虚実織り交ぜられたものだとしても、度が過ぎている感はある。とはいえ、本書を単なる昭和大陸動乱物語としてだけ扱うのももったいない気がする。それほど、名があまり知られていない個人の回顧録としては異色の内容の濃さを本書は持っている。
個人的には、満鉄調査班による華北農村調査や、汪政権との条約締結交渉、それに終戦後に一度死刑判決を受けながら無罪となった戦犯抑留時のエピソードなど興味をそそられるが、やはり圧巻はあの通州事件に遭遇しながら生き延びた話だろう。
梨本は駐屯軍の池田純久参謀の要請で、殷汝耕のもとに忠告に出向いていたという。邦人惨殺の場として有名な錦水楼で事件に遭遇している。怯えた宿泊客らが暴兵でも金品を与えれば命は取るまいと期待して避難を尻込みするなか、梨本は賛同者数名を連れて守備隊まで逃げ、そこで夜を明かす。翌朝、金水楼を訪れ、そこに前夜まで一緒にいた者たちがことごとく無惨な死態を晒している姿を目撃している。

