Yama先生您好, 我是天津的苏国厚,...
2012年1月16日 13:53  by 苏国厚 さん

Yama先生您好,

我是天津的苏国厚,感谢您的回复。

我手中尚有十几封侵华日军的家书,如果您有空,可否翻译一下信中内容,赐教其中的信息。我可以扫描信件给您传送。

如方便,请给我您的电子邮箱地址。

谢谢!


苏国厚

天津 中国

From : ご意見・ご感想をお寄せください


yama さん: 感谢您在...
2012年1月16日 13:37  by 苏国厚 さん

yama さん:

感谢您在百忙中抽出时间解答我的问题。您的解答很详细。同样,您引用的书籍也很专业。这是中国大陆所找不到的。

如果您能再查出有关“横山忠司”所在部队的进一步资料,我将不胜感激,拜托了。

我的电子邮箱是suguohou@163.com. 您可将资料发送至此。我手中还有十多封侵华日军的家书,希望能和您建立纯历史史料的交流。

祝好!

From : 八路に扮した益子挺進隊


kkさま ご主張に依存はございませ...
2011年12月 8日 12:12  by yama さん

kkさま

ご主張に依存はございません。中国のやり口に、日本は生真面目に対応することが悲劇を生む要因と思います。その点では、単純に日本が異文化コミュニケーション下手、ということになります。
中国側に立って論じる人々についてですが、エージェントは別として、言い当て妙がウィストン・チャーチルの言葉“If you are not a liberal at 20, you have no heart. If you are not a conservative at 40, you have no brain.”でしょうか。かつて私もこれでした。学者の中には中国賛美が若気の至りであっても、それが現在の地位、生活の基盤になってしまってると、そう簡単に方向転換(思想転向)できません(飯が食えなくなる)。ウソをつき続けなくてはいけないので、普通はつらく、耐えられませんが、飯が食えないのはつらいですよね。かつては金持ちでなければ歴史学者になるなと言われましたが、学究的良心に従うという点でも真理かと思います。
タウンゼントの本ですが、相当に偏見がありますので“話半分”でしょう。あの本をありがたがってちやほやすることに、私は形容しがたい恥ずかしさを感じます。

From : ラルフ・タウンゼントについて


 ラルフ・タウンゼントの本は今読み始めて...
2011年12月 7日 15:42  by kk さん

 ラルフ・タウンゼントの本は今読み始めています。本のさわりですが、今のところウソはないと思います。
  長くなり誠に申し訳ありません。
 「偏見である、史実と異なる、いい加減だ」と批判されるかもしれませんが、「媚中派と日本侵略戦争派、南京大虐殺派」の視点に対する私の反論を書いてみました。申し訳ありませんが、よろしければ、矛盾点や反論等ご指摘お願いいたします。
 私は、左派でも右派の社会主義者でもありません。有る映画で「左翼は冷酷、右翼は残酷」と言うある大使のセリフが頭に残っていました。長年私の頭の中に残っていた疑問が確信に変わったのは残念ながら数年前です。渡辺昇一氏の仰る通り、左派であろうと右派であろうと社会主義者は「同じ穴のむじな」なだと言うことです。右派の代表が、ヒットラーやムッソリーニであり、左派の代表が、スターリン、毛沢東、金成日、ポルポト達で、何れも権力闘争と粛清、自国民大虐殺を行った、独裁帝国主義者達です。帝国主義と言うと、アメリカや過っての大日本帝国を連想される方々は多いようですが、中国やロシア、北朝鮮も帝国主義となんら変わりはない。ファシズムと言われた北一輝の著書を読むと、彼の主張が正しく共産主義の主張に酷似する事が分かります。悪魔の国北朝鮮に羨望しテロやハイジャックまで行った日本赤軍派は粛清とリンチ殺人まで行った極悪人グループです。元日教組の委員長は北朝鮮のポチョムキン村のトラップに填まり、死ぬまで北朝鮮を称賛しました。北朝鮮からどれだけ優遇されていたのでしょうか。社会党の元土井委員長は拉致事件まで否定しました。田原総一郎氏も北朝鮮でのカラオケの話を本に書かれていましたが、彼もそのトラップに填まったようです。リベラルとか人権・平和主義者と称する左派の社会主義者の本質は、本当の意味での平和主義者ではないのです。中国共産党は毛沢東の権力闘争である文化大革命での大虐殺、トウ正平・江沢民による天安門事件、胡錦濤によるチベットやウイグル等の自治区で虐殺や組織的レイプと奴隷制度とも言うべき民族浄化政策を行っている。過っては原爆実験まで行ったのである。中国共産党は、孔子や孟子を自らで殺し、全ての宗教を認めていない。なぜなら共産党そのものが毛沢東を教祖とした、粛清の宗教だからではないでしょうか。孫文は、「民衆は屑」だと言ったそうです。それを蒋介石も毛沢東も引き継言いだ。だから、要塞に自国兵を鎖で繋ぎ最後まで戦わせた。また督戦兵によって、退却する自国兵を機関銃で撃ち殺した。
 そう言った人命を軽視した中国だから、東京裁判以後、中国が南京事件を騒がなかったのは、「彼らにとって大きな問題ではなかった」のでしょう。それを煽り立てたのが、「日本共産党」の手引きで、中国を取材した本多勝一と朝日新聞である。彼らはポチョムキン村のトラップに填まり、誇張と捏造の多い中国共産党のお膳立てされた証人や資料をそのまま世界中に垂れ流し、中国に日本叩きの外交カードを与えてしまった。更に旧社会党委員長の田辺誠や総評が資金を出し、嘘の写真や資料まで記載した南京大虐殺記念館を建てさせ、中共と一緒に、反日活動を行って来た。その結果、「天安門事件」をもみ消すために利用され「日本仮想敵国化と愛国教育」が始まったのです。私は、中国で仕事した経験も有るので、多少は中国人の知り合いもおり、真っ当な中国人も多いのであるが、本当の意味での日中友好に対して、中国人の憎しみを煽った彼らの罪は大きい。
 また「レイプオブ南京」で「日本人が、人を切り刻み、妊婦の腹を裂き内臓と赤子を引きずり出した。人肉まで食べた。」とアイリ・スチャンは書いた。こんな捏造された猟奇的な虐殺まで日本兵が行ったと世界に吹聴されては、日本人若者や日本の名誉にとって大問題である。人肉を食べる文献は、中国に有っても日本には無い。
 そもそもドイツ、ロシア、北朝鮮、中国の様な民間人殺傷を目的とした強制収容所、ロシア革命や文化大革命による粛清、天安門事件、婦女子や赤ん坊を含めた民間人の殺戮を目的とした広島、長崎の原爆及び東京大空襲と比べる事自体が本質を摩り替えている。
更に、この仲間は、その「歪んだ中国人愛国教育」や「日本人洗脳教育」を支持し、罪のない学生たちを修学旅行で大虐殺記念館に生かせ、「謝罪させようとする」日教組を支持している。彼らの論調や視点をよく考えて見ると、中国側に立って論じている事が分かって来る。それでも中国共産党が真面な政党ならば私も心配しませんが、真面ではないから心配しているのです。
 安全区へラ-べをはじめ外国人達は、国民党の兵士や高級将校まで国際法に違反して匿ったのである。大虐殺論者達は、日本兵の行為を「やたらとハーグの国際法違反。」と言いながら、国民党が中共に轢き込まれた民間人残忍事件(第一次南京事件、通州事件、済南事件、成都事件、北海事件等)及び盧溝橋事件、第一次上海事変、ドイツと中共スパイと一緒に行った第二次上海事変等の挑発や便衣兵による騙まし討ち、捕虜の惨殺、上海無差別爆撃、安全区での中国兵保護等 中国が先に行った数々の国際法違反には擁護はしても非難はしない。彼らは残虐写真の誤用や誇張、捏造まで擁護する有様である。
 「大虐殺派、侵略戦争派」は、例えば現在の視点で満州帝国を傀儡政権だったと非難する。しかし、満州は中国ではなく、満州族の土地である。これも列記とした事実である。そのままにして置くべきだったと現在の視点で仰る方々がいる。そう単純に出来ない時代であったから、葛藤や失敗も繰り返したのである。また、日本の統治は、欧米の統治とは一緒には出来ない事も確かである。

From : ラルフ・タウンゼントについて


MMYさま 「戦争が人を変える」という...
2011年10月19日 10:30  by yama さん

MMYさま

「戦争が人を変える」というのは、よくある言説で、確かに一面その通りですが、その一方で、戦争という環境に自己の決断、行動の責任を押しつけるという側面もあるように思います。
南京事件については、捕虜の処刑も正規の命令による作戦行動として行われたはずで、非武装の市民への暴力とは明確に区別されなければなりません。そもそも死者数(埋葬遺体数)を虐殺の数とすることはナンセンスどころか、戦死者(国府軍人)への冒涜ではないでしょうか?
そして日本軍による市民への暴力は、小規模で散発的な非行・非違行為としてはありましたが数は多くありませんでした。この点は、中国軍が漢口・南京・通州で(作戦行動として)行った非武装邦人への暴力と大きく異なります。
なお、日中戦争における捕虜の取り扱いについては不明な点が多く、「一般ニハ帰郷セシメ安居楽業ニ就カシメタル方針」だったとされますが、南京攻略時のように、不当な処刑も少なからずあったと思われます。

From : 河本大作の山西時代


"City of Life and De...
2011年10月18日 23:41  by MMY さん

"City of Life and Death"という中国映画を最近見ました。中国題名は「南京!南京!」となっていました。十年ほど前にベストセラーになったIris Changの"Rape of Nanking" を髣髴とさせる映画でした。

解説書に書かれていたMessageは、「日本人は普通の人々だが、戦争が人間をanimalsに変えてしまう」というものでした。

しかし、私はそれは少し違うと思う。というのは、映画にも本にも描かれていた、南京で「安全地帯」を造って、何百か何千という女性・子供と負傷した兵士たちを救おうとしたのは、ナチスの南京代表だったからです。彼は人道的な立場から、中国人の女性・子供と負傷兵を救おうとし、それがHitlerから召還される理由になったと映画では説明されていました。

川島芳子の話や、河本大作と出光佐三が親友であった、鮎川財閥、大倉財閥ということばが興味を引きます。出光は私の母校(神戸大学)の、大倉財閥は私の就職先(大成建設)と深いつながりがありました。

From : 河本大作の山西時代


苏先生 我家里有的一本回顾录上有步兵第...
2011年9月 2日 11:27  by yama さん

苏先生

我家里有的一本回顾录上有步兵第224连队的详细叙述,就明白了你问的回答。
横山先生归属的部队是步兵第224连队(团)第1大队(营)第2中队(连)。
当时竹内建之助中尉当第2中队长,所以他写信上用《竹内队》的俗称。
竹内中尉在1940年5月《晋南反击作战》中阵亡去世了。
我觉得你留存的横山先生写的信可能在山西1940年5月以前写的。

From : 八路に扮した益子挺進隊


Hello Mr.Su, Your gu...
2011年8月30日 14:20  by yama さん

Hello Mr.Su,
Your guess is correct. Kasahara-unit is 36 Division 224 infantry regiment.
I understand your request.
I think if I can check book of "The History of 224 infantry regiment" become clear where Mr.Yokoyama was assigned to.
This book in the "Yasukuni-Kaiko-Bunko" Library, But I am very busy now. Please wait for a while.
Thank you.

From : 八路に扮した益子挺進隊


yama さん: I am sor...
2011年8月28日 14:04  by 中国天津  蘇國厚 さん

yama さん:

I am sorry that i can not speak Japanese. I hope you can understand the following messages about a japanese soldier.

"北支派遣舞部队笠原部队渡边部队竹内队 横山忠司"

I am wondering which unit is this soldier belong to? I just found this:

第36师团(雪兵团)师团长舞伝男1939-1940在任,第36步兵团步兵第224联队,联队长笠原嘉兵卫。is that correct?

then what about "渡边部队竹内队"?can you give me specific information about this unit?

I recently bought a letter from a market in my city and the soldier wrote it is named 横山忠司,

i like study history, specially the war history between China and Japan. I will be very pleased if you could help me to clearly understand detailed information about the unit that this soldier 横山忠司is belonging to?

You can send messages to me directly through my E-mail.

Thank you very much!

From : 八路に扮した益子挺進隊


森さま 再びお越しいただきありがとうご...
2011年7月29日 19:36  by yama さん

森さま

再びお越しいただきありがとうございます。
森将軍のご息男との由、終戦時の出来事について不躾なお話を申し訳ございません。大変なご不幸とご苦労だったか推察いたします。ご尊父様の事蹟は今日の日本の礎に占める大きなものだったと、若輩ながら思っております。

From : 文化活動に力を入れた山岡部隊


森赳は私の父です(長男) また島内義之は...
2011年7月22日 02:34  by 森 隆 さん

森赳は私の父です(長男)
また島内義之は従兄にあたります
今は体調を崩しお会いできませんが、貴重な情報を有難うございました

From : 文化活動に力を入れた山岡部隊


陳先生 大同万人坑の中国書をご恵送いただ...
2011年6月 9日 20:04  by yama さん

陳先生
大同万人坑の中国書をご恵送いただけるということですが、あいにく仕事が忙しく、お送りいただいても十分活用できないと思いますので、お気持ちだけいただきます。ありがとうございます。
『歩兵第十一聯隊史』(鯉十一会,1993年)は、靖国神社の偕行文庫にあるようです。ご参考になれば幸いです。

From : 山西省の歴史


您好: 1,我最近得到一本《大同煤矿万人...
2011年6月 1日 21:27  by 土八路 さん

您好:
1,我最近得到一本《大同煤矿万人坑实录》,想给您寄去,但不知您的收信地址,请详细告诉我好吗。
2,请您查一下《日军陆军十一联队战史》这部书的网上地址,我的朋友要研究一下平型关战斗的史料。
谢谢,拜托了。
陈尚士(土八路)
2011年6月1日。

From : 山西省の歴史


義父は塁1473旅団5,800人の中、2...
2011年5月 7日 16:43  by FUJI さん

義父は塁1473旅団5,800人の中、246大隊の通信兵でした。3号無線機乾電池送信で夏500V発電機操作の為、最終トロッコ列車で太原から撤退でき、普城県托州露安まで最後歩き続毛手撤退できて命広いしての本帰国している。残留部隊が現地に居ついたのでしょう。

定年になったら日本人片親の人を探しに出かけよう。

From : 山西省の歴史


お答えいただきありがとうございます。 上...
2011年1月30日 22:06  by 匿名 さん

お答えいただきありがとうございます。
上海での戦い、といえば日華事変の初期の頃ですから、もしかしたらと思い質問させていただきました。
知恵袋でした質問(http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1454455179)
をそのままコピーしたので、「ついて」という関係ない部分まで、加えてしまい申し訳有りませんでした。
国府軍のガス作戦は、もっと知られてもいい事実ですね。
ありがとうございました。

From : 『正論』誤報検証の最終報告


dabuw 2222 さま 日華事変に...
2011年1月30日 18:57  by yama さん

dabuw 2222 さま

日華事変における化学戦については、中国側の体制を含めて、下記のコラムに書いていますので、ご一読いただければと思います。

「日華事変における化学戦」
http://shanxi.nekoyamada.com/archives/000137.html

ご指摘の兵頭氏の著作については読んでおらず、また、奉天軍のガス使用についても存じませんでした。奉天の兵工廠にガスの製造設備があったとは思えないので、ドイツからの現物輸入かと思います。窒息性というのはおそらくホスゲンでしょう。
日華事変における中国側のガス使用については、上記コラムにも書いていますが、事変初期にホスゲンなどの致死性ガス使用疑惑は多数あり(ただし被害ナシ)、実際にガス弾も押収されています。河南省には持久ガス(イペリット)工場もありましたが、イペリットの使用例はなかったと思います。
戦後我が国では日本側の使用例のみが喧伝・議論されていますが、これら中国側の使用例や体制については当時の陸軍公文書に記載されて残っており、日華事変で致死性ガスを最初に使用したのは中国側だったのは間違いありません。

From : 『正論』誤報検証の最終報告


はじめまして、Yahoo!知恵袋からリン...
2011年1月30日 17:46  by dabuw 2222 さん

はじめまして、Yahoo!知恵袋からリンクを辿ってこちらに着きました。
遺棄科学兵器に関してではないし、既にご存知かも知れませんが、中国での化学戦に関して、
ついての並木書房 刊 兵頭二十八 著 「 学校で教えない現代戦争学」78ページに
ついて【 大正十五年秋、奉天軍(張軍閥)の後方 に回り込んだ、伝作義の部隊(閻錫山軍閥)に対し、奉天軍が窒息性のガスを使用し た。第一次大戦の新技術が、初めて中国で 試されたのはこの時だった。 】
79ページに
【 対科学戦装備ハ斬次(サンズイ付きの斬が見 つからない)向上シ又瓦斯手榴弾、同迫撃砲 弾ヲ使用シ且一部瓦斯放射(上海会戦広福 附近ニ於テ催涙瓦斯放射)ヲ行ヒタルコト 等アルモ其ノ用法ハ未熟ノ域ヲ 脱セズ 又同 会戦中太平橋附近ニ於テ「ホスゲン」弾ヲ 発射セシモ不発弾多カリキ
『支那軍ノ戦力及戦法ノ史的観察双ニ対策』昭和十五年と、大本営陸軍部では報告し ている。】
と引用を用い書かれております。

また国民党政府の毒ガス製造に関して
朝日ソノラマ 昭和61年刊行『ゾルゲ事件の 真相』J ・マーダー 著 植田敏郎 訳 110~112ページに記述がありました。

日華事変に於いて最初にガス作戦を行ったのは、中国側なのでしょうか?

From : 『正論』誤報検証の最終報告


陳先生 ご紹介いただいた映像は、こちら...
2011年1月19日 23:16  by yama さん

陳先生

ご紹介いただいた映像は、こちらではうまく再生されないので断片的ですが、まだこんな内容の番組を流しているのか、といった印象です。
書評の本は、当時、炭鉱の経営にあたっていた日本人職員にも取材して書かれています。「日本鬼子」と考える人には理解できないかもしれませんが、彼らは精一杯、日本人の感性で中国人労働者をより良く扱おうとしていました。邦人職員が最もショックを受けたのは、阿片中毒で死に至った炭鉱労働者が、死んで野晒しにされていたことです。埋葬せずに廃坑に遺体を捨てたのが万人坑の始まりでしょう。

From : 書評:「朝日」に貶められた現代史―万人坑は中国の作り話だ


请看看这个纪录片,说道是大同煤矿万人坑...
2011年1月19日 22:49  by 土八路 さん


请看看这个纪录片,说道是大同煤矿万人坑
http://v.ifeng.com/documentary/history/201101/8e2e3fb4-deda-40fb-9057-2236530cba30.shtml

From : 書評:「朝日」に貶められた現代史―万人坑は中国の作り話だ


森さま お越しいただきありがとうご...
2010年12月25日 16:04  by yama さん

森さま

お越しいただきありがとうございます。また、銅剣の話など、大変参考になります。
終戦後、中国政府(国民党)は文物返還リストを日本に提示しましたが、山西省博物館の文物はなかったと記憶しています。しかし、残念ながら、戦後中国(共産党)での評価は史実とは異なり「略奪」とされています。
山岡将軍の博物館保護は、北の大同における石窟保護(こちらは関東軍)と並んで、事変初期の日本軍による文物保護としてぜひとも史実に残したい事蹟です。もう少し突っ込んで考察したいのですが、あまり資料がありません。たとえば、山岡将軍が戦後したためられたと伝えられる回想録『回想五十年』についても、数年来探していますが、いまだ見つかりません。もしご存じでしたらご教示いただければ幸いです。
苗字から勝手な推測ですが、森さまは森赳将軍のご血縁でしょうか?二年ほど前に森将軍の甥にあたる島内さまにお会いし、宮城事件のことなど、少しお話をうかがいました。

From : 文化活動に力を入れた山岡部隊


山岡 重厚は私の叔父にあたります 戦後高...
2010年12月25日 11:39  by 森 隆 さん

山岡 重厚は私の叔父にあたります 戦後高知に住んでいましたが、子供が無かったため大変可愛がってもらいました。
私は当時高校生でしたが、太原の話しはたまに聞きました。
詩吟が非常に上手い子供がいたので、時々司令部に呼んでは聞いたこと,太原入場直後に博物館を保護したこと、離任のときに博物館長にお礼として銅剣を進呈されたことなどを楽しげに話していました。
その銅剣(二振ありました)を見た記憶がありますが今はどうなっているでしょう。
いずれにせよ旧日本軍の評価は中国では散々ですが、このような足跡を残した叔父に改めて尊敬の念を抱いています。

From : 文化活動に力を入れた山岡部隊


yaegaki-hime 殿 「偏重し...
2010年9月20日 08:52  by yama さん

yaegaki-hime 殿

「偏重している」とは何を差して言っているのでしょうか?私は事実を元に論じていますので、それを偏重と批判するのであれば、具体的にどの稿のどの典拠資料が偏っているとか、史料解釈に予断があるということを明らかにした上で批判してください。それでなければ単なる印象操作に過ぎず、説得力はありません。このラルフタンゼントについても、最近では八路の七旦戦についても、私が知り得ない、また未見の史料を元に、貴重な批判をいただきました。そのような批判をお願いします。
ラルフタウンゼントの本について言えば、中国批判の印象操作に利用したい輩が好んで珍重しますが、中身は薄っぺらな紀行文の類に過ぎません。昔の汚い中国と今も似ているからといって何の意味がありますか?死体なら長江で今もたまに浮かんでいますよ(誰も通報しない)。中国批判をしたければ、このホームページにあるように事実をもとに論じるので十分でしょう。

From : ラルフ・タウンゼントについて


>ラルフ・タウンゼントの著作、興味もって...
2010年9月19日 18:42  by yaegaki-hime さん

>ラルフ・タウンゼントの著作、興味もっていたので
買ってみようかと思っていたのですがyamaさんの書評をみるといまひとつ信頼は出来ないようですね・・・

↑こういう考え方はいかがなものかと思いますね
目下原文の著書をアメリカの古本屋で買って読み始めているところです。この本を読むと70年前の中国ではなくて今のことかと思えるほど普遍の中国気質を感じるので やはり名著だと思います。逆にこちらのブログ主のご意見がさまざまなところで偏重しているように感じて 一体どなたなのかと気になるくらいです 自分の力で手を尽くして真実を知りましょう。

From : ラルフ・タウンゼントについて


軍事は政治と思ってないとか、政治と関係な...
2010年8月16日 23:38  by 匿名 さん

軍事は政治と思ってないとか、政治と関係なしに成立する
ものがあるとおもってるのが日本人のウブさだねえ。
だから中国に負けちゃうんだよ、政治も軍事も経済も。

From : 誇張された「平型関大捷」


「嫌中の偏見からくる中国固有の風俗・文化...
2010年7月25日 13:44  by なんかい さん

「嫌中の偏見からくる中国固有の風俗・文化に対しての無知と侮蔑は、お節介とも言える親日的言辞とともに読んでいて気分のいいものではない」とあるが、現在中国の虚偽と捏造による反日的言辞に比べれば、この程度の認識不足は取るに足らないものだと思います。

From : 書評:暗黒大陸中国の真実


熊猫さま 幸村部隊と同じ左縦隊配属の7...
2010年7月 2日 22:26  by yama さん

熊猫さま

幸村部隊と同じ左縦隊配属の79iの連隊史(1984)を調べたところ、ご指摘の通り、26日と28日の両日、敵の攻撃を受けて危急に陥った旨の記載がありました。失礼しました。28日の出動については、遺体収容が目的とあります。80iは右縦隊ですが、III大隊のみ予備隊として左縦隊配属でしたので、28日に護衛小隊を出したとしても不思議ではありません。
損害についてですが、79i史では、師団行李隊(藤本部隊)が数十名戦死で、79iの行李隊が5名の戦死とあるだけで、幸村部隊については記載がありません。この点、引用いただいた26日夜の収容人数について、通常の輜重隊をイメージして読むと大損害となりますが、そもそも駱駝輜重は駄馬と違い、現地雇用の調教師1人につき4頭程度を引率しますので、幸村部隊の規模はそれほど大きくなかったのではないかと思います。
仰る通り、両日にわたり攻撃を受けて損害を生じたのは事実ですが、師団要報での取り上げ方など種々の状況から見ても、やはり戦死400、馬400といった中国側の戦果は誇張されてることに違いはないと考えます。

From : 「七亘大捷」の実相


>実態は第一線が前進した後にノコノコやっ...
2010年7月 2日 21:01  by 熊猫 さん

>実態は第一線が前進した後にノコノコやってきた非武装の輜重隊をリンチしたというだけでしょう。

 これは史実と大きく異なります。26日に七亘村の戦闘で92名まで減少した幸村部隊は、28日に再度作戦を決行します。歩兵第80連隊の護衛付きですので、両日とも非武装の輜重部隊という認識は大きな過ちです。
 幸村部隊は28日に七亘村で攻撃を受け、翌29日に救出された時は33名になっていました。負傷者もいたでしょうから、全員が戦死と判断するのは間違いかもしれません。しかし、これらの場所で攻撃を受けたのは、幸村部隊だけではないということが重要です。

 yamaさんが提示された資料はあくまで【機秘密書類処分報告】であり、何らかの機密文書を燃やしたことを裏付けるには有効かと思います。

From : 「七亘大捷」の実相


yamaさん  28日の戦闘の件は私も存...
2010年7月 2日 09:11  by 熊猫 さん

yamaさん
 28日の戦闘の件は私も存じております。その被害が軽微であったことも陣中日誌には記載されていました。しかし、それとは別に、26日の七亘村の戦闘で幸村部隊が壊滅的被害を受けたことが記載されているのです。
 そのことは八路軍第129師団386旅団旅団長であった陳geng1の日記とも符合します。

「歩八〇Ⅲ戦詳第九号 七亘村附近ノ戦闘詳報」より26日のみを引用します。--------
三、十月二十六日午後三時兵站輜重幸村部隊ノ伝令測魚鎮ニ帰来シ左ノ通報ニ接ス
  目下幸村部隊ハ七亘村附近ニ於テ敵ノ重囲ニ陥リ在リ至急救援ヲ依頼ス
四、(略)
五、午後七時三十分頃ヨリ遂次輜重隊ハ測魚鎮ニ後退シ来リ正子頃迄ニ完全ニ収容シ得タリ
  其ノ収容人員左ノ如シ
   師団大小行李ノ兵員  一二二名
   幸村部隊ノ兵員     九二名
   駱駝          九九名(まま)
   輜重隊苦力       二六名
--------引用終わり

 七亘村の戦闘においては10月24日から記述されています。26日の戦闘が無かったということはありません。また後世に『歩八〇Ⅲ戦詳第九号 七亘村附近ノ戦闘詳報』と『陳geng1日記』を突き合わせて書かれたとは到底考えられないことです。
 26日に戦闘があったことは疑いようのない事実ではないでしょうか。問題は日本軍の被害(損害)の規模になると思います。
 当時の輜重兵中隊の規模は500名程度の規模ですから、400人前後の輜重兵が戦死したことになります。人数は不明ですが「師団大小行李ノ兵員」もいたのですから、小規模な小競り合いではないでしょう。

From : 「七亘大捷」の実相


熊猫さま ご指摘の幸村部隊というのは、...
2010年6月11日 22:35  by yama さん

熊猫さま

ご指摘の幸村部隊というのは、まさに本稿で紹介している第三師団第一兵站輜重兵中隊(幸村三八吉中尉指揮)のことです。ただし攻撃を受けた日付は26日ではなく28日です。三兵輜一の報告書は、アジア歴史資料センターのウェブでごらんいただけます(C04120390800)。
董平編著『七旦大捷』では、第一次伏撃を26日、第二次を28日とし、2回にわたる攻撃の累計で本稿記載の戦果を挙げたとしています。しかし、26日の攻撃参加は完全にウソと思われます。26日は国府軍との戦いで、日本側も複数の大隊長が戦死するなど激戦でしたので、中共軍も参戦したことにしたいのでしょうが、実態は第一線が前進した後にノコノコやってきた非武装の輜重隊をリンチしたというだけでしょう。そもそも朱徳、彭徳懐が蒋介石から受けたとする祝電が28日の戦果(これも誇張)に対するものだけですから、どだい話に無理があります。
七旦大捷の持つ意味は、平型関と同じ戦法で同じように戦果を誇張している点がピタリと符合していることです。

From : 「七亘大捷」の実相


>ところが第二十師団の戦闘要報では七亘村...
2010年6月10日 08:44  by 熊猫 さん

>ところが第二十師団の戦闘要報では七亘村付近の戦闘は言及されていない。

 私の手元に歩兵第80連隊第3大隊の陣中日誌があります。
 10月28日の被害は御指摘のように軽微なものであるという認識は同じですが、問題はその前の26日の日本軍の損害です。
 幸村部隊が壊滅的損害を受けたとのことです。おそらく輜重兵連隊でしょうが、大隊なのか中隊なのか小隊なのかは不明です。

From : 「七亘大捷」の実相


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