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1940年(昭和15)2月、沁源県の自宅で長兄の結婚式を行っていた日に、親戚女性三人が日本兵に乱暴され、王さん自身は兄弟とともに約二週間の使役に狩り出された。
同年11月、村に討伐に来た日本兵に村民二人とともに至近距離から撃たれた。全治四ヶ月の重傷。残り二人は喉と頭部を撃たれて亡くなった。
1943年(昭和18)冬、中共党員としてゲリラ活動中に兄と仲間四人とともに日本軍に発見され、左肩を撃たれて全治一ヶ月の重傷を負った。女性一人は左腕を撃たれ、兄は銃剣で刺された。
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1939(昭和14)年冬、臨汾市郊外で起きた黒龍関の戦闘で小隊を率いて参加した。中共入党後、 「晋西事件」では中陽県で偽装暴動を企画、中共根拠地へと向かう途中に日本軍に捕まり、太原の捕虜収容所「工程隊」に収容された。
釈放後は中共党員としての身分を隠して親日政府の軍司令部に参謀将校として所属、終戦後は閻錫山軍に参加した。
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